「鉄道が消えると街は廃れる」はウソだった! 北海道・増毛「廃線で困ったことは何もない」

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増毛は江戸時代後期からニシン漁で栄えた町で、明治に入ってからも開拓拠点のひとつとしてにぎわった。その当時の面影をとどめる建造物も多く残されており、札幌から2時間の距離。いわば、観光資源も大都市からの距離も、恵まれた環境にあるのは間違いない。

逆に言えば、こうした環境を持つ町にとって、とうの昔に鉄道は必要不可欠なものではなくなっていたということだ。「鉄道が町を見捨てた」のではなく、「町が鉄道を見捨てた」。どちらかといえば、そのほうが事実に即しているのかもしれない。

「残す」ために必要なことは

ひるがえって、今春に廃止されたJR三江線。そこでも、地元の人の利用は一部の区間を除いてほとんど見られなかったという。粕淵駅近くに役場を構える島根県美郷町の関係者は次のように話す。

「粕淵駅の定期券利用者は、最後は2人だけ。学生もスクールバスを使うからほとんど乗らないですし、たまに観光客や鉄道ファンが乗っているくらい。もちろん駅の近くで暮らしていて日常的に使っていたという人もいたから、その人たちにとって廃線は困った事態なのは間違いない。でも、大半の町民にとっては廃止の影響はあまりないのが実際のところです」

増毛町の留萌本線留萌―増毛にしても、三江線にしても、末期には公共交通機関としての役割はほとんど失われていた。観光客も鉄道ではなく観光バスやクルマで訪れる。この背景には、運転本数が少ないなど鉄道の不便さや鉄道利用を前提としていない街づくりなど、さまざまな要因があるだろう。

もちろん、鉄道が廃止されることは残念極まりない。少ないのかもしれないが影響を受けている地元住民もいるはずだ。ただ、地域に“見捨てられた”鉄道に生きる道がないのも事実。今後、全国的に鉄道の存続をめぐる議論が展開される中で「鉄道を残す」ことを目指すならば、地域は鉄道をいかに生かした街づくりをするのか、そして事業者はそれを踏まえて“見捨てられない”ようにどれだけ利便性をキープして向上させていくのか。それが問われることになるだろう。

鼠入 昌史 ライター

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そいり まさし / Masashi Soiri

週刊誌・月刊誌などを中心に野球、歴史、鉄道などのジャンルで活躍中。共著に『特急・急行 トレインマーク図鑑』(双葉社)。

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