(第16回)山口百恵をめぐる阿久悠の「対決」

●人に伝えたいことがあった「昭和の歌」VS. 自分だけを語っている「平成の歌」

 昭和の終焉が1989年初頭だが、歌の世界にあっての「昭和」は、とうに終わっていたのかもしれない。

 阿久悠は、「昭和」歌謡へのこだわりを次のように語る。

 「昭和と平成の間に歌の違いがあるとすれば、昭和の歌には人に伝えたいことがあり、平成の歌は自分だけを語っているということです。それを「私の時代」というのなら、僕はむしろ「私を超えた時代」の昭和という時代を愛します」(インタビュー「歌謡曲の向こうに昭和という時代が見える」、『阿久悠 命の詩』所収)

 JポップからJ文学まで、平成の世にあって、あられもない「私」語りは、紛れもなく時代の主流になりつつある。各自各様に、「自分だけを語っている」のだ。

 ここに、ブログという名の“極私的メディア”での、匿名の「私」による語りの氾濫を重ね合わせてみるといい。いかに容易に、「私」を立ち上げることが可能な時代か想像がつくだろう。それは、「私を超えた」ものへの想像力の欠如と、おそらく正比例の関係にあるのだ。

 「私」を「公」の回路に開き、接続することの困難さも、今や深刻な社会問題になりつつある。「ニート」、「フリーター」と呼ばれる、非定職労働者の明日への不安は、この社会全体の不安要因でもある。オタク的とも言われるそれぞれの「私」に、社会化への通路を切り開かなければ、第二、第三の短絡逆ギレ「秋葉原」は必至なのである。

 それだけに私たちは、阿久悠の言う「私を超えた時代」を、誰もがこれほど容易に「私」を語り得なかった時代を懐かしむのだ。
 ただ、忘れてならないのは、言葉の無力を決して語らなかった彼が、言葉の無力から出発した"昭和の戦争の子"であった事実だ。「私を超えた」ものへの憧れと、その危険に彼らほど敏感な世代もなかったはずだ。

 「自分だけを語っている」そのおしゃべりな現代が、いったん「私」語りに行き詰まった時に、どういう事態を招くか。退路を断たれた彼らは、狂ったように行動を開始するしかないだろう。

 秋葉原事件を知らずに逝った阿久悠は、だが「自分だけを語っている私の時代」の危機を、誰よりも早く察知していたのではなかったか。

 思えば、歌謡曲の時代とは、1曲の歌の中で語られた「私」が、「私」を超えた何かに通じていることが信じられた時代だった。「私」だけの話は、逆に歌にはならなかったのである。
 出会いや別れ、旅立ちや帰郷の「私」語りが、一般的に共有される「物語」になっていることが、流行歌の必要条件でもあった。

 遠く古代に遡れば、花見や山遊びで交わされた男女の「歌垣」における歌謡は、開放的な場所での共同パフォーマンスとして、まず民謡となり、そこから名もない無数の「私」=「われ」の恋のかけ引きなど、徐々に個性的な歌に成長していったのである。

 『万葉集』に、詠み人知らずのまま収められた多くの歌謡は、その意味で、阿久悠の語る「私を超えた」流行歌の起源でもあったのだ。
高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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