絵に描いたようなトントン拍子でプロの漫画家になれたが、ここからはなかなかうまくはいかなかった。
「私はほとんど漫画を読まずに漫画を描いてきたから、編集さんにとって新鮮な存在だったと思うんです。それで賞は取れたんだと思います。ただデビューしたら、珍しい漫画というだけでは通じないですよね」
初連載のアンケート結果は最悪ですぐに打ち切りになってしまった。それが響いてなかなか次の作品を掲載させてもらえなかった。その後、読み切りやショートの連載が掲載されることはあったがやはり結果は芳しくない。漫画家としてくすぶっているうちに27歳になってしまった。
そんな時分、小沢さんと仲が良かった編集担当者がヤング雑誌を作ることになった。
「『いろいろなところを取材するルポ漫画を描かない?』って誘われました。ルポ漫画は前からやってみたかったジャンルなので即オッケーしました」
最初の取材は、浅草にあるホストクラブの取材だった。
「土地柄なのかすごいヤクザっぽい雰囲気なホストでしたね。若い男の子が『まだ家を借りるほど稼げていないので車中泊してます』って言ってたのが印象的でした」
そのルポ漫画のアンケート結果は良くて連載は続行されることになった。
それからはゲテモノを食べる取材、ゴミ屋敷を清掃する取材、山の中でサバイバルをする取材……など身体を張った取材を繰り返した。
「1回やってしまうと何でもできるようになりましたね。普通に暮らしていたら、出会えないような人と会えますし、そういう人たちは本当に魅力的な人が多いんですよね。私の持っている先入観をぶち壊されました」
父親のことを嫌っているのに離れられない
それでも漫画で稼げるおカネは月8万円くらいだった。「8万円では自活できないな」という理由で父と実家に居続けた。
その後、仕事が増えて一人暮らしできる収入を得るようになったのに、小沢さんはなぜか家を出なかった。
それどころか、小沢さんは自分のおカネで家をリフォームした。
「今思えば完全に共依存ですよね。父親のことを嫌っているのに離れられない。アルコール依存症って本人だけではなく、家族も病気になってしまうんですよ。
ただ、そのときに自分はおろか、父親がアルコール依存症だともまったく思ってなかったんです」
父親は、春日部市に来て数年で独立して社長になっていた。会社員でないことが、酒癖が悪いことに拍車をかけた点もあるかもしれない。
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