相変わらず週末になると正体がなくなるまでベロベロになるまで酔っ払い、酒癖は加齢とともにひどくなっていった。ケガをしたり、糞尿をもらしたりすることもあった。
「冗談で『お父さんは本当にアル中だね』って言うことはあったんですよ。でも本気でアルコール依存症だとは思ってなかったし、言われてる父も自分がアルコール依存症だとは思っていなかったはずです」
小沢さんが40歳のころ、父親がガンになった。ガンの場所は肺と食道だった。
「ずっと『父親が病気になっても絶対に介護なんてしない!!』って思っていたんですけどね。実際目の前で弱っている人がいるのをほっとけないじゃないですか。結局、介護したんですが、それは私にとってすごく良い体験でした」
ガンが進行していくと、だんだん漢字が書けなくなっていった。最終的には自分の名前も書けなくなった。
徐々に筋肉が衰えていくから寝返りもうてなくなる。そろそろ完全にボケてしまったほうが、自分の現状がわからなくなって幸せなのに……というところで本当にだんだん思考力がなくなっていった。
そして父親は72歳で亡くなった。
「自分がどうやって死ぬのかを先行体験させてもらえたのは本当に良かったと思います。死に方を見せてくれたのは、父が私にしてくれた数少ない善行でした。死に対して覚悟ができましたね」
父親ははるか昔からアルコール依存症だった
父親はそうして亡くなったが、この段階ですらまだ、小沢さんは父親がアルコール依存症とは思っていなかったのだ。
どうして父親がアルコール依存症だと自覚したのだろうか? そしてなぜその経験を、漫画化しようとしたのだろうか?
「遠い知り合いが、お酒を飲むたびひどく荒れて、奥さんから離婚を切り出されたんです。それでアルコール依存症のセミナーに行くことになりました。そこに私も漫画の取材でついていくことになったんです」
小沢さんはそれまで、四六時中飲んだり、手の震えが止まらなかったりするのがアルコール依存症だと思っていた。父親は土日しか飲まないし、手も震えていなかった。
しかしセミナーで言われたのは、
「アルコールのせいで人間関係が壊れたら、アルコール依存症です。治療の対象です」
と言われた。
「え、それならうちの父親ははるか昔からアルコール依存症だったんですけど? って思いました。母が自殺をしたのも、私や妹が結婚や出産に強い嫌悪感を覚えるのも、父親の酒癖の悪さが少なからず関係しています。昔から父の酒癖のせいで、人間関係が壊れまくってます。
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