小室さんの「不倫叩き」をする人たちの脳の中 実は「人間の脳の仕組み」がそうさせている
ニューヨーク市立大学バルーク校の研究グループが、マクドナルドの模擬店舗を用いて面白い実験を行いました。
その模擬店舗を訪れた被験者には、用意された2種類のメニューリストのなかから一方が渡されます。サラダなど健康を連想させるメニューが載ったリストと、それが載っていないリストのうち、いずれかです。その上で、最も太りそうな「ビッグマック」を選ぶ割合について調べました。
すると、一般的な予想とは逆の結果が出ました。すなわち、サラダが掲載されていないリストを受け取った群では約10%だったビッグマックの注文率が、サラダが掲載されているリストを受け取った群では約50%にも上ったというのです。
これは、人間が「良いこと」または「倫理的に正しい」なにかを想像しただけで、免罪符を得たような気分になってしまうことを表しています。
この実験では、「健康」という「倫理的正しさ」を扱っています。サラダが載っているリストを目にした人たちは、そこで健康という倫理的正しさを想像します。ただそれだけのことで、「私は健康について倫理的に正しいことを考えている」と判断し、「だから、ビッグマックを食べてもいいや」と自分を許すのです。サラダが載っていないリストならばそんなことは起きないのに、なまじ載っていただけに免罪符を得てしまうわけです。
社会は人間にとって非常に重要なもの
これと同様のことが、私たちの日常でも起こります。それが健康という個人的な問題で済んでいるならまだいいとして、そうではない「倫理的正しさ」に及んだとき、どういうことになるでしょうか。
「社会とはこうあるべきだ」「人間とはこうあるべきだ」というように、常日頃より「倫理的に正しいこと」を考えている人ほど、脳にはたくさんの免罪符が貼り付けられており、結果的に「倫理的に正しくない」残虐な行動に走ってしまう可能性があるということなのです。
社会は人間にとって非常に重要なものです。時には、個体の存続よりも重要視されることがあります。社会を形成して生きていくという戦略が、私たち人類の大きな繁栄の礎にあったことを考えれば、ある意味、当然のことともいえるでしょう。
反社会的であるよりは、向社会的であることのほうを好ましいと認知する性質を備えた個体が長い年月をかけて、さらに淘汰され、生き延びてきたのが人類の歴史であったといえるのではないでしょうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら