「看取り士」になった娘が見つめた母の最期 住み慣れた自宅で幸せな死を迎えたい
高原さんによると、手足は早めに冷たくなるが背中は翌日の午後もまだ温かく、葬儀社の人が来るまで、母のそばを通るたびに抱きしめたりさすったりしていた。遺体が温かい間は故人のエネルギーを受け取る大切な時間で、「いのちのバトン」を受け取る、と看取り士は呼ぶ。
由津莉さんは看取り時の母の姿に凛々しさを感じたという。
「もしも私が母の立場だったら、祖母の呼吸が乱れていく時点からすでに取り乱したり、泣き出したりすると思うんですよ。でも、母はその場全体を一歩引いてずっと見ていましたから」
「私も看取ってほしい」
祖母の他界から約2カ月後。それまで「母の看取りは自分の思い入れでしたことで、私の最期はあなたの世話になるつもりはない」と話していた高原さんが一転して、「やっぱり私も看取ってほしい」と伝えると、娘は二つ返事で「うん」と応じた。
「私も看取りを通して、母から多くのものをもらったので、私を看取ることで娘にも何かを受け取ってほしいと考え直したんです」と高原さんが言えば、由津莉さんも「むしろ私は頼まれて嬉しかったですね。不安もありますが、それも含めて看取りは特別なことじゃなく、日常の一部ですから」と毅然と語った。
23歳にしてはずいぶんと大人びた彼女の言葉を伝えると、柴田さんは「よくあることですよ」とさらりと言った。
「要するに大人が子どもたちにどんな死を見せられるのか、そこに尽きるんですよ。高原さんが見せた家庭の日常での清らかな看取りが、娘さんの標準なんです。でも、大人自身が死を怖がって病院に任せ、できるだけ自分から遠ざけようとすれば、残念ながら子どもたちもそうならざるを得ませんよね」
75歳以上の高齢者が今のペースで増え続けると、13年後の2030年の年間死亡者数は161万人になり、病院でも老人施設でも死ねない「看取り難民」は同年47万人に達するという推計がある。約3.43人に1人が自宅以外の死に場所を失う社会になれば、あなたは親をどこで、どうやって看取りますか。
(ルポライター・荒川龍)
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