研究者はなぜ尊敬されなくなったか
鷲田:昔であれば、研究者というとかなり尊敬を受けていたでしょう。なにかこう、自分たちにはできないことを、ものすごく恵まれた才能を生かして、しかもそれがものすごく将来の人類の福祉、あるいは安寧のために役立つようなことをしているのだと。だからみんな「先生、先生」と呼んで、「あんなに突き詰めてやっているのだから、普段は道徳に反することやボケたことをしても、まあ大目に見ましょう」という雰囲気があったじゃないですか。
山折:岡潔の場合はそうですね(笑)。
鷲田:昔は、変人でも何かすごいことをしているのだから、という尊敬がありましたが、今はそれが全然なくなってきている。それはやっぱり、彼らが特殊な素人になってしまったから。
山折:岡潔は、小林秀雄との対談(『人間の建設』(新潮文庫)に収録)の中でこんなことを言っています。
たとえば4次元の渦巻きの世界から始まって、5次元、6次元、7次元、多次元的な世界がたくさんあるわけです。それを専門家はよく知っているけれども、数学者は、4次元、5次元、6次元の話を3次元のレベルに置き換えて説明できなければダメだと。普通の人でも3次元ならわかりますが、4次元の構造をいくら説明されても、わかりっこないんですよね。
つまり、岡潔という人は、科学者のいわば全体像というか、本来のあり方をちゃんとわきまえていたわけです。ところが数学界の主流からは外されてしまった。そこが問題です。科学の問題は、3次元の世界でどんどん説明してほしいと私は思っています。
鷲田:そのためには、ものすごくイマジネーションがいりますね。
山折:その努力をまず科学者にしてもらう。やっぱり科学的地位のあり方が変わってきていると思いますよ。
鷲田:ただし、科学者はそんなところにエネルギーを使うのはもったいないと思うようになってしまった。科学者が、世の中のことはほとんど知らない特殊な素人になってしまったから、信頼と敬愛がなくなってきてしまった。私は、科学者に教養があるということと、本当の科学者であることは、同じだと思います。
山折:そうだね。
鷲田:自分がやっていることを、まずは科学の世界の中で、ひいては、人類史の中でちゃんと位置づけられる、そして、それを自覚しながら自分の研究を遂行できる、それが本当の科学者である。と同時に、それができる人というのは、本当の教養を持っている、つまりは、自分の専門の外に、いつもアンテナを張っている人ということですよね。
(司会・構成:佐々木紀彦、撮影:ヒラオカスタジオ)
※ 続きは9月24日(火)に掲載します
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