──入学に「人物入試」というルートもあるとか。
知って、へーと思ったのだが、学力だけでなく全人格的に評価するというものだ。歴史をさかのぼれば、学力だけの評価ではある人種だけが増えてしまうので、それを抑え込むためだった。品格、社会性やリーダーシップといったあいまいな基準を取り入れて、いわば操作できるようにした。また、大学自体は認めていないが、一定数の大学関係者の子弟が「レガシー入学者」として入れるのも事実だ。
日本の大学教員は忙しすぎる
──米国の授業では「白熱教室」が話題です。
日本でも同じで、授業の様式はまったく担当者の人物次第だ。米国でもみながみな白熱した授業をしているわけではなく、学生に評判の悪いものもある。
ただ、日本では教える授業のコマ数が多く、一つの授業にかけられるエネルギーが当然少なくなる。おまけに入試を手伝い、もちろん研究もする。白熱しようにも、そのためのエネルギーがほかにたくさん割かれてしまう。入試は徹底的にアウトソースし、授業については半分ぐらいの数にすれば、熱の入った授業をする前提が整うのだが。
──試験は監督者不在とか。
プリンストン大ではそう。その歴史を調べてはいないが、大学は学生を信用している、その証しとして、監督者が見張ることはせずに、一人ひとりの良心に従って試験を受けてくれという制度のようで、ここ100年以上そうなっているという。
──OBの寄付競争も熾烈ですね。
大学間の競争意識をうまくあおりながら、寄付金を集める。寄付金額で米国の国内大学ランクが上がるようになっている。大学ランクには卒業生による寄付という基準さえある。その戦略室は大学講内にあり、入試面接などで彼らを巻き込むことによって、卒業した後も大学の一員であるという意識を植え付けている。したたかというか巧みだ。
──1年の半分はプリンストンでの生活を繰り返しています。
ずっと鍛えられている感じがある。米国には世界からハングリーな連中がまさに集まってくる。ハーバード大でさえ、合格者の2割がほかの大学に行く。学生の奪い合いは教員の奪い合いでもある。この切磋琢磨する雰囲気をぜひ東大にも還元したいと思っている。
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