消滅危険度日本一の村は「自民党安泰」だった 村長は政策の継続性が重要だと強調
南牧村はかつてコンニャクイモ栽培や養蚕で栄えたが、価格低迷で衰退。その後は、それに代わる産業が生まれず人口減少が始まった。
村の中心部で明治10年創業の和菓子屋を継ぐ4代目の金田鎮之氏(46)。中学卒業の時、村に中学は3校あり、学年には同級生が44人いた。今、村に残っているのは自分を含め5人。
現在、村の学校は小中学校1つずつに減り、小学生24人、中学生17人しかいない。団体スポーツができない生徒数だ。
金田氏は村の空き家を調査し、空き家バンクとして登録し、ホームページで公開する活動をしている。移住を促進するための山村ぐらし支援協議会会長を務める。
衆院選は自民党に投票するつもりだが「消去法でいくとそんな感じ」。国政レベルの政治に期待することはほとんどないという。
子どもが大きくなり、家業を継ぎたいと言ったら「この業界に入るのは止めない。ただ、ここでやるというのはどうかと思う」と話す。
10年後、20年後は今より人口が減るし、空き家も増えるのが目に見えているからだ。
自然農法でナスやサトイモなどの野菜を栽培
村に移住してきた若者もいる。田中陽可氏(26)は、総務省のプロジェクト「地域おこし協力隊」として2年半前に南牧村に移住し、山間地の農地を借りて自然農法でナスやサトイモなどの野菜を作っている。「自然農法を広めることで、世界から飢餓をなくす」ことが夢だ。
東京で生まれ育ち、アメリカの大学に進学した。村の人たちからは親切にされ、ここの生活には満足しているという。都会では若者の投票率が低いことについて意見を聞くと「村は、小さい分、選挙の影響がすごくわかる。自分の1票の重みが感じられるから投票に行く」と答えた。
道の駅「オアシスなんもく」で会った前述の今井氏は、今でも野球チームに所属して「仕事は野球」と言い切るほどの野球好きだ。体格も頑強で70代にはとても見えない。
夕方、南牧村役場の隣では、ナイターの照明がまぶしいグラウンドで70代以上と思しき男性たちが、球音を響かせ練習に余念がなかった。
昔は子どもたちの遊び場だったであろう野球場を占領して汗を流す高齢者たち。
「この村のお年寄りは、みんな驚くほど若く元気です。山が多いから足腰が強いのと、食べ物が良いせいかもしれない」。村で数少ない20代の田中氏は言った。
(宮崎亜巳、竹中潔 編集:田巻一彦)
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