鉄道「新線トンネル切り替え」で失われた絶景 スイスは観光と非常時用に旧路線も存続

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スイス・レッチュベルク鉄道の旧線、有名なホーテン付近の大アーチ橋を行くローカル列車。トンネル開通で特急列車の所要時間は大幅に短縮されたが、その車内からこの風景を拝むことはもうできない(筆者撮影)

日本における似たような事例としては、京都府の嵯峨野観光鉄道が挙げられる。同鉄道は、線形改良のために廃線となった山陰本線旧線を活用し、保津峡に沿った形で運行されているもので、線路そのものはJR西日本が所有し、嵯峨野観光鉄道が列車を営業している。

前述したスイスの事例と大きく異なるのは、嵯峨野観光鉄道は純粋な観光鉄道として運行されている点で、JR西日本が線路を保有しているものの、本線の代替ルートとして存在しているわけではなく、同路線を経由して直通運転ができるわけではない。

一度廃止すると復活は大変だ

こうした点は、同じようにトンネルの開業で廃止された旧フルカ鉄道(氷河急行で知られる現マッターホルン・ゴッタルド鉄道)のオーバーヴァルト―レアルプ間に復活した、フルカ蒸気鉄道と似た境遇だ。

両鉄道に共通して言えることは、いったん廃線となった路線を復活させることは、相当な労力を要するという点だ。1989年に新線に切り替えられた山陰本線旧線は、観光鉄道として正式に復旧すると決定し、1991年に開業するまで、その準備に相当な苦労があったと聞く。フルカ鉄道に至っては、1981年に路線が廃止され、その後1992年にレアルプ―ティーフェンバッハ間が部分開業してから、オーバーヴァルトまでの全区間が復旧する2010年まで、実に18年の年月を費やすことになった。

不要となったものをばっさり切り捨てることは簡単だが、それをやはり必要だからと復旧するためには、相当な覚悟と労力が必要になるという点を忘れてはならない。覆水盆に返らず、スピードアップと引き換えに失われていく風景は、復旧に携わる関係者の多大なる努力がなければ、二度と戻ってくることはない。

橋爪 智之 欧州鉄道フォトライター

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はしづめ ともゆき / Tomoyuki Hashizume

1973年東京都生まれ。日本旅行作家協会 (JTWO)会員。主な寄稿先はダイヤモンド・ビッグ社、鉄道ジャーナル社(連載中)など。現在はチェコ共和国プラハ在住。

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