「仕事は16時上がりにさせてもらって、毎日病院に通いました。個室だったので何時までいてもよかったのですが、それでは僕の体が持ちません。22時までと決めて付き添っていました。でも、夫婦はそういう状況になると大した話はできないんですね。元気なうちに仕事を休んでもっと旅行をしておけばよかったね、なんて振り返るような話ばかりでした」
最終的には声を出すことができなくなった由佳さん。筆談に切り替え、ひたすらに幹夫さんの心配ばかりをしていたという。自分が1人であの世に行ってしまったら、残された幹夫さんはどうなるのか。支えとなる家庭がなくなってしまう。
「この状態が終わったらすぐに次の結婚相手を探せ、と彼女に何度も言われたことが忘れられません」
42歳で早世する自らの運命を嘆くのではなく、残される夫の心配をして、その幸せを願う――。愛する人がいることは、最期のときまで人を強く前向きにするのかもしれない。
幹夫さんによれば、結婚4年目での死別はキレイ事では済まなかった。由佳さんの両親は娘の死を受け入れられず、どうしようもない悲しみを幹夫さんにぶつけてしまった。
「ちゃんと支えていたのか、と何度も責められたのがつらかったです。亡くなった後も、彼女が身に着けていた衣服を送るように言われて……」
幹夫さんは悲しんでいる暇がほとんどなかった。「ちゃんと始末をつけてあげなくちゃいけない」との一心で、由佳さんが亡くなる3日前には葬儀会社を探した。
葬式が終わった後は、荷物の整理や相続の手続きが待っている。2人には子どもがいなかったため、由佳さんの遺産は3分の1を両親、3分の2を幹夫さんが受け取ることになった。入院と葬儀の費用は差し引いたうえでの相続となる。幹夫さんはきちんと計算をし、かつての義理の両親に報告。相続争いなどが起こることはなかった。
遺言どおりに婚活を始めるが…
無我夢中での半年間が過ぎ、後片付けがようやく終わった。幹夫さんは、由佳さんの遺言どおりに婚活をすることを決意。大手の結婚相談所に登録をした。
「お見合いに行く日の朝は、必ず仏壇に線香をあげていました。お見合い相手の女性に求めたことは、年齢が僕と近いこと。結果的には2歳年下の人と再婚しましたが、できれば5歳ぐらい年上の女性がよかったのです。女性は強いというけれど、経験者としては女性には死別を経験させたくありません」
当時、幹夫さんは43歳。40代の女性と集中的にお見合いをしたことになる。1年間で40人近くとお見合いをして、そのうち8割は気に入ったと振り返る。常識的で、ちゃんと仕事をしていて、他人任せではない人生を送っていると感じたからだ。しかし、相手のほうから断られることが続いた。苦労によって年齢よりも老けて見えることに加え、死別という重い経歴が足かせになったのかもしれない。
「前妻と住んでいたマンションに関しては、再婚が決まったら売りに出してもいいと思っていました。とても住みやすいので、できれば残したかったけれど……」
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