「ラルフローレン」が米旗艦店を閉店した事情 アパレル界の優等生に何があったのか

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日本は、アメリカ本国以外では、最もラルフローレンのファンが多い国だろう。

1970年代からインポートショップを通して少数が輸入され、1980年代後半の渋カジブームで当時の高校生、大学生の間で人気が爆発。1990年代はヒップホップカルチャーからも高い支持を受け、女子高生の間ではワンポイント入りのセーターやソックスがステータスとなった。

2000年代に入ってからは、ビンテージラインの「RRL」がコアなマニアの間で争奪戦となり、2000年代後半にはプレッピーの再ブームを牽引した。しかし近年は、ビッグポニーのポロシャツを着ている人は頻繁に見かけるが、全身をラルフローレンでまとめた人を見かける機会は少なくなったように感じる。

前述のとおり、唯一無二の世界観をつくり上げたラルフローレン。それに共感した人が国、世代、時代を超えて多かったからこそ、今のラルフローレン帝国があるといえる。ラルフローレンは前衛的なデザイナーではないが、ことライフスタイルを演出することにかけては右に出る者がいない偉大なファッションデザイナーなのだ。

ラルフローレンに足りないものは?

ラルフローレンがこれまで苦戦とは無縁だったのは、不変の世界観を維持する一方で、柔軟な発想を取り入れた時代の先を行く別ラインを展開してきたからだ。移り変わる流行に対して、本流の世界観とは異なるラインをつくることで、つねに新鮮さを保つことを忘れなかったのである。1990年代のポロ スポーツ、2000年代のRRLの復活など、時代の流れに応じて新しいラインを増やすことで、トレンドの波を乗り越えてきたのだ。

再建計画では、細かく分かれていたラインを廃止してメインラインに統合する戦略を推進しているが、今のラルフローレンに最も欠けているのは、時代をリードするような新しいラインの存在。統合が一段落した後は、時代を再びリードするような新ラインの立ち上げが不可欠である。

現在はブランド設立以来、初めて足踏みをしている時期。それでも、ラルフローレンにはこの苦境を乗り越える実力が備わっているはずだ。今は外部からデザイナーを招聘してリブランディングを図るのが当たり前になってきているので、個人的には、外部デザイナーによる別ラインの立ち上げを期待している。今最も旬なアメリカ人デザイナー、オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブローのヴァージルが手掛けるラルフローレンなんて、想像しただけでワクワクしてしまうではないか。

増田 海治郎 ファッションジャーナリスト

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ますだ かいじろう / Kaijiro Masuda

1972年埼玉県出身。神奈川大学卒業後、出版社、繊維業界紙などを経て、2013年にフリーランスのファッションジャーナリストとして独立。『GQ JAPAN』『MEN'S Precious』『LAST』『SWAG HOMMES』「毎日新聞」「FASHIONSNAP.COM」などに定期的に寄稿。年2回の海外メンズコレクション、東京コレクションの取材を欠かさず行っており、年間のファッションショーの取材本数は約250本。メンズとウィメンズの両方に精通しており、モード、クラシコ・イタリア、ストリート、アメカジ、古着までをカバーする守備範囲の広さは業界でも随一。仕事でもプライベートでも洋服に囲まれた毎日を送っている。著書に『『渋カジが、わたしを作った。』

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