益子直美が12歳下の夫と乗り越えた死の恐怖 つらい妊活、そして突如襲われた大病
直美さんはどんどん殻に閉じこもり、誰とも会わなくなった。幸せになりたくて始めた不妊治療のはずなのに、自暴自棄で、幸せとは程遠い日々が続いた。
不妊治療を始めて3年目。タイムリミットの45歳の誕生日が近づいていた。ある日、直美さんは、雅道さんにこう訴えた。
「もう少し続けていいかな?」(直美さん)
どうしても子供が欲しかった。子供の顔が見たかった。それに対して雅道さんはこう答えた。
「直美、ありがとう。でも、もう終わりにしようよ。子供ができなかったのは残念だけど、僕は、笑顔の直美と一緒にいたいから結婚したんだよ」(雅道さん)
子供が欲しいから結婚したわけではなかった。ふたりで楽しく一緒に生活していけると思ったから、雅道さんは直美さんを選んだのだ。夫の想いを妻も受け入れた。
「ありがとう。ごめんね」(直美さん)
「頼りない夫だけど、これからもよろしくお願いします!」(雅道さん)
2011年5月20日、直美さんの45回目の誕生日に、夫婦は不妊治療を卒業した。体温計、グラフ、薬、ホルモン療法の薬……すべてを捨て、12歳差の年の差夫婦は、ふたりで生きていこうと決めた。
「不妊治療を終え、もっと仲良くなった」
「なんか壁を乗り越えた感じというか、不妊治療を終わったあたりから、もっと仲良くなった」(直美さん)
不妊治療を終えたのと時を同じくして、ふたりは、雅道さんの生まれ故郷である湘南に引っ越すことに決めた。その時、夫婦で約束したことが、ひとつだけある。それは、それぞれの生きがいを持つこと。
雅道さんは、鵠沼海岸にほど近い住宅街に、夢だった自転車店を開業した。直美さんも時間が許せば店に立つ。そして、海の近くに一戸建ての家を購入した。ともに日曜大工が趣味の夫婦は、少しずつ手を入れて家を自分たち色にしていった。
直美さん個人にも、新たな生きがいが生まれた。淑徳大学バレーボール部の監督として、23年ぶりの現場復帰を果たしたのだ。
「恩返し。私を支えてくれたり、成長させてくれたのはバレーボールしかないんですよ」(直美さん)
過去を吹っ切って前向きに歩き始めた直美さん。だが、その彼女に新たな試練が立ちふさがった。
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