全国初「JR可部線」が廃線から復活できた理由 復活を願う地域のモデルケースになるか

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JR西日本は可部―河戸間の線路を撤去せず残しておいてくれた。住民たちは、いつでも走れることをアピールするため、線路上の草むしりを欠かさなかった。線路脇にヒマワリを植えるなど美観形成の運動も行った。折に触れてさまざまなイベントも開催してきた。「継続するうちに住民の心が一つにまとまった」(平盛氏)。活動を見守ってきた広島市の担当者も「彼らは“要望”ではなく“運動”をやっている」と、心の中でエールを送った。

可部線の電化延伸は地域住民の悲願だった(記者撮影)

転機となったのは、2007年に施行された「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」である。同法によって、電化延伸に対して国の補助を得られる可能性が出てきたのだ。その結果、翌年に市、JR、バス事業者らで構成される協議会が発足し、復活に向け議論が重ねられた。そして2011年2月にJR西日本が「早い時期に合意したい」と発言。路線復活に向けて大きく前進した瞬間だった。

その後、2013年にJR西日本と広島市が可部線電化延伸で合意するが、ここから先は技術論だ。事業費27億円は国や市が負担する。線路は残っており、新たに電化工事が行なわれた。中間駅や終点駅の設置位置も決められた。問題となったのは、踏切の扱いだ。国の基準で現在は鉄道新線が建設される際に、安全上の理由から踏切を設置してはいけない。可部線も新線扱いとなり、原則としては踏切が設置できない。とはいえ、立体交差にすると費用は一気に膨らむ。

国との協議の結果、可部ーあき亀山間に4カ所の踏切が設置された。ただし、これで一安心というわけにはいかない。「廃線だったときは誰もが自由に線路を横断していた。復活に際し、小学校で踏切の渡り方教室を行うなど、安全面に注意している」と、JR西日本の伊勢正文・広島支社長は言う。この日も各踏切の両側に監視員が張り付いて、往来の安全を確認していた。「立体交差にすべし」という国の基準を押し切っての踏切設置だけに、安全確保は徹底的に行う必要がある。

可部線の利用者は確実に増加

開業初日を迎えたあき亀山駅周辺は、明るい春の日差しの中、延伸開業を祝うイベントでにぎわっていた。「列車の騒音で周囲がうるさくなる」といった否定的な声もあったが、延伸開業を歓迎する声が圧倒的。中には「日本初となるJR廃止路線の復活事例」を売りに可部線を全国にアピールしていきたいという声もあった。老朽化が進む広島市の安佐市民病院が2022年にあき亀山駅前に移転することが決まり、可部線の利用者増は確実視されている。

廃線からの復活。これを前例に全国の廃止路線も続々と復活すると期待したいところだが、可部線の場合はもともと需要があったにもかかわらず、一部に非電化の区間があったため廃止となったという特殊事情があった。広島県出身の河井克行衆議院議員は「2003年11月30日、満員の三段峡行き最終列車に泣きながら手を振る沿線の人たちの姿が忘れられない」という。あき亀山駅開業はゴールではなく、三段峡までの復活に向けたスタートと考える人々も沿線にはいるのだ。

大坂 直樹 東洋経済 記者

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おおさか なおき / Naoki Osaka

1963年函館生まれ埼玉育ち。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。生命保険会社の国際部やブリュッセル駐在の後、2000年東洋経済新報社入社。週刊東洋経済副編集長、会社四季報副編集長を経て東洋経済オンライン「鉄道最前線」を立ち上げる。製造業から小売業まで幅広い取材経験を基に現在は鉄道業界の記事を積極的に執筆。JR全線完乗。日本証券アナリスト協会検定会員。国際公認投資アナリスト。東京五輪・パラにボランティア参加。プレスチームの一員として国内外の報道対応に奔走したのは貴重な経験。

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