ISに追われ世界に散る「ヤズディ教徒」の行方 アメリカの為に働いたのに…突然の入国禁止
異国の地で暮らす彼らとの出会いの中で、ヤズディという民族の存在感や結束が強いことを感じずにはいられなかった。ドイツでの取材をきっかけに、故郷を追われて世界に散ったヤズディの将来について想像をしてみた。
ドイツでの取材をきっかけに、2014年8月以降にヤズディが経験してきた「出来事」だけを伝えるのではなく、取材で出会ったヤズディ一人ひとりの物語が浮かび上がるような取材をしたいと思うようになった。そしてもう一度イラクを訪れ、彼らが迫り来るダーシュの攻撃から逃れるときに一緒に抱えてきた、平和だった頃の過去の「思い出の写真」を複写する作業を行った。
違法ルートでイラクから各国を渡り歩いてドイツへたどり着いたヤズディの人々の取材では、彼らがイラクから抱えてきた「個人の大切な宝物」の写真を撮影していった。短期間に一気に体重が減るほどの過酷な旅の中で抱えてくることができるのは、小さなモノに限られるが、それぞれにとって思い入れのある大切な宝物である。ラショー(63歳)は、息子からもらった黄色い数珠だけを持ってドイツへ渡った。ジョージ(20歳)は、親友から思い出にと手渡された古い時計をリュックに入れて背負ってきた。ミシェル一家はヤズディにとっての家の守り神で壁に付ける「ボクジック」と呼ばれる布を持ってきた。
報道されなくなっても、ヤズディたちの人生は続く
アメリカへ移住したヤズディの元米軍通訳たち、ヨーロッパ各地へ避難した何千人ものヤズディの難民たち、ドイツ南部の政府の支援プログラムを通してドイツ語を学び始めているヤズディの少女たち、先祖が暮らしてきたイラク北西部のシンガルを離れることに抵抗があり、2年以上も山のテントの中で暮らし続けているヤズディたち……。 「ヤズディ」という言葉がニュース報道で聞かれることがなくなっても、各地へ散っていった彼らの人生は続いていく。
2年前初めてシンガル山を訪れたときに出会った、元公務員のファハド。山の南側のふもとにある自宅はダーシュに支配され、逃げ込んだ山の中で家族と暮らしていた。日中は武器を手にし、23歳の息子サウドや仲間たちと最前線まで出掛けていき、ダーシュと戦っていた。
昨年夏、ファハドのもとを訪れると、シャツを着て、ダーシュから奪還されたシンガル山北麓の街の小さな店で働いていた。「もう戦っていないんですか?」と聞いてみた。「いつまでも戦っていられないよ。いろいろあってね。あなたの人生と同じように、私たちの人生も続いていくんです」とほほ笑みながら話した。
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