僕があえて「年収半減」転職を繰り返した理由 しんどくても、成功するたびに捨てていく
僕が考える「ダントツにすごい人」とは、
2. つねに成長することをやめない
3. 「偉い人」にはならない
この3つの条件を満たす人です。
そう考えるようになったのは、過去の苦い経験が背景にあります。
僕は子供の頃から合唱団に入っていて、子供タレントとしてテレビ出演したことがあります。小学生のときにはビートルズをコピーしたバンドを組み、大学ではバンド活動にのめり込みました。音楽が大好きだったので音楽の情報を発信する業界で働きたいと思い、就職先に日本テレビを選びました。
ところが、音楽番組をつくりたかったというのに、配属されたのはITの部署。1989年入社ですから、インターネットなんてない時代です。テレビ局でコンピュータの仕事をするのは面白くもなんともなく、いつ辞めようかと毎日、考えていました。
でも、ある時、自分が望んでいる仕事をさせてもらえないのは、それだけの能力があると信頼されていないからではないかと気づいたんです。それ以来、まじめにITの勉強をして資格を取り、IT会社のセミナーで講演をするほどになりました。そして、ITを活用するいくつかの新規プロジェクトを立ち上げたのです。
その体験をとおして実感したのは、自分がやりたいことをやるより、やるべきことをやったほうがいいということ。そして僕の場合は、社会を大きく変えたり、人の笑顔をつくるようなことに自分なりのやりがいを感じるということに気づきました。社会の課題を見つけ、それを解決するための「やるべきことをやる」のが向いていて、かつ、自分が本当にやりたいことだとようやくわかったのです。
ダントツにすごい人は「収入」よりも「成長」を選ぶ
僕はデジタルメディアの仕事に専念したいという思いから、2000年に日本テレビを退社し、ソニーへ転職しました。日本テレビを辞めた当時、年収は1000万円を超えていました。転職先のソニーでは年収が半減することはわかっていました。それでも、あえて一歩を踏み出すことを選びました。なぜかというと、テレビ局員という肩書だけで高給をもらい、チヤホヤされるようになって、「このままではどんどんダメな人間になっていく気がする」と危機感を抱いたからです。
ソニーに移ってからの3年間は、自らの担当職務を超えて新しい事業に取り組み、数年後には年収が上がっていきました。もちろん、それは自分なりに実績を積んだ成果だといえます。でも、大きな会社で自分の思いを実現するのは大変で、時間がかかります。再び「このままではまずい」という気持ちがむくむくと湧きおこったのです。
そこでソニーを飛び出し、ハンゲームジャパン(現LINE)に移りました。当時のハンゲームは社員約30人の赤字ベンチャー企業で、年収はまたもや半減しました。
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