自殺のキヤノン研究者に労災認定−−会社の管理責任はどこまで追及される?
キヤノンで研究職に就いていた男性が2006年11月末に投身自殺した事件について、沼津労働基準監督署が労災認定を下した。会社側は午後10時以降の残業を原則禁止とするなど過重労働を防止する労働管理を行っていたが、遺族側の主張では、自宅への持ち帰りも含め、直前期には月200時間超におよぶ残業を行っていたとされている。今回の事件で、キヤノンの責任はどこまで追及されるべきなのか。
部署異動契機に異変、社内発表会が重圧に
亡くなった男性(死亡当時37歳)は、1992年に研究開発職としてキヤノンに入社、97年から事務機器の研究施設、富士裾野リサーチパーク(静岡県)に勤務していた。当初から自宅に持ち帰っての残業は常態化していたが、健康に大きな問題は生じていなかった。
だが2005年4月、開発部署の人事異動が行われてから状況は変化し始める。異動により、男性は研究所で行う開発から、不慣れなコンピュータ上でのシミュレーションへと業務内容の変更を余儀なくされた。家族に対しても「順応することが難しい」と漏らしていたという。さらに、翌年春にはサブリーダーという役職に就任し、後輩の指導や東京・下丸子本社との連絡・調整などの管理業務もこなさなくてはならなくなり、開発業務へ専念することが困難となった。
男性に大きなプレッシャーを与えていたとみられるのは、「成果展」と呼ばれる社内の研究発表会の存在だ。この発表会では800人以上の社員が一同に集い、各自の研究成果を発表し合う。発表者には聴衆から厳しい質問や批判が飛ぶこともあり、亡くなった男性に限らず、このイベントにストレスを感じる社内の研究者は少なくなかったという。
異動後、与えられていたテーマについて成果が出ていなかった男性は、06年9月ころから成果展の重圧を強く感じ始め、毎日帰宅後も自宅で深夜1~3時まで仕事をする日々となった。土日も働きづくめとなり、同年11月28日の成果展当日まで実質的に休み無しの生活が続いた。このころから不眠や抑うつ症状が強まり、男性は数度にわたり異動の希望を上司に申し出たが、聞き入れられなかった。
そして成果展翌日の30日夕刻、男性は裾野市内の踏切に立ち入り、投身自殺により命を絶った。