「アレッポ制圧」に見る大国の自分勝手主義 そして世界最古の街は瓦礫と化した

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アレッポでの戦闘終結は、人道面では好ましいことだ。被災者は消耗品を与えられ、負傷者は治療を受けられるようになるだろう。シリアとロシアは病院を攻撃対象とするとともに、支援物資をストップさせる戦略をとっていたからだ。

だが、闇の部分も漏れ伝わってきた。戦闘可能な住民数百人が降伏後に「行方不明」になるか殺害されたと報じられている。アサド政権はアレッポの制圧後、米国などの大国が何らかの行動を起こさないと確信すれば、さらなる反乱を抑えるために残忍な措置をとるだろう。

こうしたケースは、歴史上の幾千もの包囲戦の例からすれば、特に珍しいことではない。だが、アレッポ奪回にこれほどの時間がかかった理由については、考える価値がある。

シリア内戦への西側の中途半端な対応は、まったくもって失敗だった。反政府勢力を支援はしたものの、シリアとロシアに勝つには不十分なものにとどめた米国や英国などの罪は重いと言わざるを得ない。

中東をめぐる構図も書き換えられた。アサド政権は内戦の初期段階ではイランに大きく依存していたが、ここ2年間はロシアに頼りきっている。

妥当な表現かどうかはわからないが、アレッポ奪回の最大の功労者はロシアのプーチン大統領だろう。ロシアは、西側が見放したシリアの独裁政権に軍事力を提供した。このことが今後、どういった状況に繋がるのかは不明だ。

ロシアも西側も似たもの同士

2011年のリビアでも今回と似た状況が見られた。反政府勢力の拠点ベンガジがカダフィ政権の攻勢で陥落寸前となったのを受け、西側は軍事介入に踏み切った。そして後悔する羽目になった。対照的に西側は今回、アレッポを切り捨てる以上のことは、まったく行わなかった。

いろいろな意味で、それもやむを得なかったと言える。イラクやアフガニスタンでの情勢泥沼化を踏まえて欧米は、シリアに軍事介入を行ったとしても、労多くして得るものはほとんどないとの認識を持っていた。

特に欧州は、シリアでの流血を許したことによるツケとも言うべき移民危機の大きさに気づいてはいたものの、いかなる軍事介入も正当化しようとはしなかった。

中東史の転換点としてのアレッポでの戦闘に関する歴史家の評価は、何世代にもわたって分かれ続けるかもしれないが、確実なことが2つある。21世紀初めに西側の観光客を集めていたこの国際的な大都市が瓦礫と化してしまったこと、そして戦闘の行方に気をもんでいた国際社会の面々とシリアの実質的な支配者には、大差がないのかもしれないということだ。

著者のピーター・アップス氏はロイターのグローバル問題のコラムニスト。このコラムは同氏個人の見解に基づいている。

 

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