フィリピン大統領ドゥテルテとは何者なのか 法律無視で麻薬犯罪者を処刑する強面の素顔

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大学では後に共産党を設立するホセ・マリア・シソンに学んだ。庶民的な言葉遣い、「神を信じるが、どの特定の宗教にも属さない」と語るカトリック教会への反発、社会主義者を標榜する左派イデオロギーは、たたき上げの青年時代に身に付けたものだ。

父が亡くなると心を入れ替えて勉学に励み、父と同じ法律家になるべく法科大学院に進んだ。しかしここでも、彼の民族的出自を侮辱してイスラム教徒を差別した同級生を銃で撃つ、という事件を起こしている。ただ退学は免れ、司法試験にも合格。ダバオ市の検察局に就職した。

ダバオ市長を計22年務める

政治家への転身は、両親の影響が大きい。父ビセンテはセブ州の政治家一族の家系に属し、マルコス政権(戒厳令以前)の閣僚も務めた。一方、ビセンテの死後、母ソレダドはマルコス独裁政権を批判する側に回って、ダバオでは民主化運動を率いた。

マルコス政権を倒して1986年に大統領に就任したコラソン・アキノは、ソレダドの働きを評価してダバオ副市長への任命を試みる。だがソレダドは検事の息子を推薦、ドゥテルテは政治の道を進むことになった。

2年後にダバオ市長に当選したドゥテルテは、スピード違反の取り締まり、夜間の酒販売の禁止、公共の場での禁煙、投資家を呼び込むための手続きの簡素化など改革を実行。ダバオ市長を計7期、22年務めた。そして2016年、39%の得票率を得て大統領にまで上り詰めたのだ。

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