貧困を議論するより、「痛み」の緩和が先だ 激論!鈴木大介×「失職女子」大和彩<前編>

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鈴木:入院中に自分に残った障害についての資料を読もうとしたとき、まったく文章を読めなくなっている自分に気づきました。いま読んだ行の内容を、次の行を読むときにもう忘れてしまい、何をどこまで読んだのかがわからない……集中力や認知が極端に落ちた状態です。大和さんが経済的にも精神的にも追い詰められたなかで生活保護について調べているとき、文字がひらひらと飛んでいくような感覚に襲われたと『失職女子。』で書かれているのを思い出し、「あ、これか!」と。……そして、ものすごく後悔しました。

――鈴木さんの後悔は、まさに冒頭で紹介した言葉にある。

今までの取材対象者に謝りたい

鈴木:僕はそれがどんなものかもわからずに、“これほどの思い”といっていた。もし僕がこの状態で生活保護の申請をしろといわれたら、死んだほうがマシと思ったでしょう。大和さんだけでなく、今までの取材対象者みんなに対して謝りたいです。僕が彼らのつらさに対して抱いていた認識は、とても低かった。貧困に陥っている人、貧困リスクが高い人のなかには精神疾患や発達障害、そして虐待、DVによるPTSDなどによって“後天的な発達障害”とでもいうべき症状を見せる人が多くいます。

それらの症状と高次脳機能障害には多くの共通点があって、どちらも脳がケガをしているような状態。そこには、“痛み”があります。だとしたら、貧困をなんとかしようという議論の前に、まずはその痛み、苦しみを緩和するのが先決ではないか。自分自身が当事者になって、初めてそう感じました。

――大和さんは、うつ病やパニック障害をはじめ、心身にさまざまな疾患を抱えている。子どものころ両親から受けた虐待の記憶がフラッシュバックするのに加え、度重なる失職や貧困の不安のなかで病を重くしてきた。が、そんななかでも就労への意欲は強く持ちつづけていた。

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