南米から「赤い丸ノ内線」が里帰りしたワケ 「地下鉄車両の基礎」を走れる状態で保存へ
旧丸ノ内線の赤い電車がブエノスアイレス地下鉄に渡ったのは1995~96年にかけてのこと。現在走っている銀色の「02系」導入によって廃車が進んだのを受け、線路幅が同じで、線路脇にある3本目のレールから走行用の電力を供給する第三軌条方式である点も共通していたブエノスアイレス地下鉄B線用として、131両が海を越えて譲渡された。
ブエノスアイレスでは、路線の規格よりやや車体幅が狭かったため、ホームとの隙間を埋めるステップを取り付けた以外は塗装もそのままで活躍。すでに登場から30年が経過していたものの、優れた整備状態や故障の少なさ、乗り心地の良さから高評価を受け、これまで約20年の間、B線の主力車両として走り続けてきた。
今回の里帰りのためにブエノスアイレスを訪れ、現地で活躍を続ける旧丸ノ内線車両に乗った吉橋さんは「走る・停まるはまだまだ現役でいける、なかなかいい状態で走っているなと思いましたね」と語る。
だが、日本での登場からすでに50年以上が過ぎたこともあり老朽化は否めない。エアコンもないことから、2014年にスペイン・マドリードの地下鉄から1990年代製造のエアコン付き中古車の導入が始まり、旧丸ノ内線車両は引退が進みつつある。現地メディアによると、すでに30両程度が廃車になっているという。
「里帰り」が4両だったワケ
里帰りのプロジェクトが動き出したのは今から約2年前。ブエノスアイレス地下鉄で旧丸ノ内線車両の引退が始まるという話を受け、歴史的に価値が高く、社員教育の教材にも適している車両を再び日本に呼び戻そうと、現地の地下鉄公社(SBASE)とのやりとりを始めたという。
今回里帰りを果たしたのは、584号・734号・752号・771号の4両。複数の車両を持ってきたのは、動かない状態で展示保存するのではなく「教育用として、実際に電気を流して電車が動くような状態にするため」(東京メトロ鉄道本部車両部の遠藤康信さん)だ。
走らせるためには編成の両側に運転台のある車両が必要になる。4両の外観はいずれも片側に運転室のある先頭車両だが、吉橋さんによるとこのうち2両の運転台機器は現地で取り外されており、実際に運転台があるのは2両。3両編成で動く状態に整備する予定のため、運転台付き2両と中間に入る1両、そして予備車として1両の計4両を持ってきたという。また、500形は製造された時期によって正面の窓上にある行先表示器の形が2種類あるため、両方を揃えるという狙いもあった。
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