民主主義で、尖った表現は生まれるか?

奇才・会田誠の発想の原点(上)

当時は子どもの自由画教育が盛んだったが、僕の絵は教師にはあまり受けが良くなかった。

美術教師に評価されるのは、ちょっとすてきなアウトサイダー的な絵を描く子どもたち。美術の授業では「会田君の絵はうまいけれど、大人びていて伸び伸びしていない。岡本太郎には褒められないぞ」と言われていた。このため、子どもの頃の僕は岡本太郎が嫌いだったことを告白する。

今になれば岡本太郎が言ったことには一理あるとも思うが、「子どもらしい絵を描けって言われてもね」という釈然としない気分だったのである。

高校では周囲が大学進学をめざし受験勉強に励むなか、僕は美術大学をめざした。美術家をめざしてというよりは、美術が得意な僕が合格できるのはやはり美術大学しかないだろうという消極的な理由からだった。

ただ、高校生の頃から芸術家になろうとは決意していた。アーティストではなく芸術家という漢字3文字の職業である。

トーマス・マンにも影響を受けた。当時としても少々時代遅れだったが、トーマス・マンの小説を読んでそこに描かれる19世紀の近代的自我に目覚めた芸術家像に憧れたのだ。

と同時に、今で言うところのサブカルチャーの作り手にもなりたかった。1980年代、糸井重里が若者に絶大な人気を誇っていた頃、漫画の世界では『週刊少年ジャンプ』に載る王道の漫画とは異質の作品や作家が登場してきた。

よく読んでいた『月刊漫画ガロ』には当時、ひさうちみちお、根本敬、蛭子能収が登場していた。また、アングラ的な漫画を描いていた大友克洋もこの頃から注目されるようになっていた。

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