日本の河川堤防は集中豪雨に耐えられない 元国交省河川局長が明かす「不適切な事情」
面白いのは堤防の作り方。たとえば江戸では、北東部に幾つかの堤から成る巨大な遊水池を作ったが、最初にできた「日本堤」の先には、日本橋の近くにあった遊郭を移転させて「新吉原」にした。江戸は当時、女性が完全に足りなかったから、男たちは堂々とこの道を通って行った。堤を知らず知らず踏み固めていたわけだ。その光景は歌川広重の「よし原日本堤」という絵に描かれている。
また、遊水池のもう一方を形成した「隅田堤」では桜を植えて花見の名所にしたり、堤の先に料亭や芝居小屋を集めて人が踏みしめるようにした。これに限らず先人たちは、堤防を築いたらその近くに神社を作ったり、お祭りをやらせるなどの工夫をした。ものを作るのは権力かもしれないが、守るのは庶民というのが、治水の原則だった。
――そうした工夫を現代に蘇らせることは?
できないね。公共的な仕事をみんな行政に押し付けちゃったから。現在の治水の原則は堤防を強化するとともに、水位を下げること。荒川放水路は現在の隅田川の水位を下げるための装置だし、ダムや川幅の改修も増水の際に水位を下げるのが目的。つまり堤防を信用してはならない。いつか壊れる、という発想だ。
壊れないといえば嘘になる。こんなことを露骨に言えるのは十数年前に退官したから。現役の河川局長が国会で「堤防なんか信用しちゃいけない」なんて言ったら「ふざけんじゃない」となっちゃう(笑)。
でも、現役の人々がやっていることを否定するわけではない。みな内心では堤防が危ないと思っているから補強したり、水位を下げるためダムや貯水池を作っている。仕事を創り出したいからやってるのではない。江戸時代に99.9%作られた堤防を引き継いだから、補強しようとしているのだ。
息の長い「撤退戦」しかない
江戸時代に稲作面積を広げるため堤防を作りまくった結果、日本人の大半は、もともと湿地だったところに大都市を作って住むようになった。こんな先進国は他にない。現状では、人口の半分と資産の75%が、国土の10%しかない「洪水氾濫区域」(洪水時の河川水位より地盤の低い区域)に集中している。
こうした状況を踏まえ、個人的には、国土のあり方を少し昔に戻す「撤退戦」を主張している。民間の側から見たら現在の不動産開発は資本活用のためには仕方ないのかもしれないが、安全を守るわれわれの側からすれば、せめて本当に危ないところには住まないようにする必要があるという理屈だ。10〜20年ではなく、300年くらいのオーダーで。
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