大学院時代、就職活動をしてすぐに一部上場メーカーから内定が出た。希望した会社だったので、そのまま入社した。大学院での研究を生かせる商品開発部に配属されて順風満帆だった。15~16人の部署で実験や試作品開発に取り組んだ。
「私、コミュニケーション能力っていうんですか、それがないのかな。宗教活動が部署の全員に広まって、当時の直属の上司から『お前は、バイ菌みたいな女だ。臭いし、消えろ』って毎日、毎日、言われた。ののしられ続けました。上司がそんな感じだから、ほかの人にも広がって通りすがりに“気持ち悪い”とか“どうして生きているの”みたいな。反論しても、もっとヒドくなると思ったから聞き流した。でも人として扱われない環境は、本当にツラいですよ。結局、自主退職しました。5年で辞めています」
29歳。退職届を提出、有給休暇の消化を含めて3カ月間、転職活動をした。本当は、大学院での研究が生かせる転職をしたかった。二十数社に応募して、書類審査は通過する。しかし、面接になると必ず落とされる。その繰り返し。わずかながら貯金はあったが、もうこれから何百社応募しても面接には通らないと思った。一人暮らしなので、生活費は稼がなければならない。フリーペーパーの求人誌に掲載されていた自宅近くの介護施設に応募した。
いじめ、パワハラ、長時間労働
「それまでは介護って立派な仕事だと思っていた。これから高齢化社会になるし、福祉だから優しい人たちが多いだろうって。そのときは、私でも誰かの役に立てるかな、みたいな前向きな気持ちがあって、頑張ろうって。未経験、無資格で介護職になった。でも、介護は本当にひどかった。すごくブラックで、連続出勤、サービス残業、経験したことない長時間労働。あと、いじめとかパワハラがすごくて、おかしくなりました。地獄みたいなところでした」
無資格、未経験だったのでパート採用、時給950円。介護施設は心優しい人たちが高齢者や地域のために笑顔で働く、というイメージだったが、彼女が働いたのはお泊りデイサービスという業態だった。お泊りデイサービスとは、デイサービスがオプションで宿泊を提供し、24時間年中無休という法の隙間をぬった業態で集客する。数ある介護サービスの中でもブラック労働の温床となり、問題視されている。
「今思えば、労働基準法をいっさい守ってなくて無茶苦茶でした。みんな朝9時から夜10時とか長時間労働をさせられて、イライラしてその矛先が私に向かってくるみたいな。最初の会社の比じゃないほどひどかった。何人かの男性の介護職員から些細なことで怒鳴られすぎて、そのトラウマで掃除機がダメになった。小さい施設だったけど、毎週誰かが辞める。私は欠員要員みたいにされて、ひどいときは15連勤とか30時間労働とか。あと介護職は読み書きが苦手な人が多くて、介護保険事業はたくさん書類があるので、全部私がやらされた」
勤務したお泊りデイサービスでは、介護職だけでなく、長時間労働に耐えられなくなって、3カ月から半年のペースで管理者が変わった。ほとんどの上司は長時間労働でうつ病になって辞めていった。長時間労働はすさまじかった。日勤からそのまま夜勤、さらに帰れずに日勤をして、さらに残業で書類仕事をするという異常といえる労働が日常茶飯事だった。過酷な労働環境で離職は延々と続き、つねに人手不足。彼女は休日も呼びだされて延々と働かされた。
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