宮崎駿の"師匠"の原点は蒸気機関車だった 超一流の映像作家だけが持つ「動きの観察眼」
アニメファンなら「大塚康生」という名前を一度は目にしたことがあるだろう。宮崎駿氏や高畑勲氏というアニメ界の2大巨頭を作画面で支えてきた人物だ。
大塚氏は1931年生まれで現在84歳。日本のアニメーションの黎明期から第一線のアニメーターとして活躍している。まだ駆け出しにすぎなかった宮崎氏が頭角を現した作品として知られる「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年)では作画監督を務めた。宮崎氏はのちに大塚氏が「仕事の面白さを教えてくれた」と振り返っている。
宮崎・大塚コンビはその後も続き、宮崎氏のテレビ初監督作品「未来少年コナン」(1978年)や初の劇場映画監督作品「ルパン三世カリオストロの城」(1979年)でも作画監督を担当している。
どこまでも“作動原理”にこだわる
大塚氏の作画の魅力は、アニメーションの持ち味ともいえるダイナミックな動きに尽きる。「人物やメカがどのように動くかという“作動原理“を大塚さんは重視している」と映像研究家の叶精二氏は言う。たとえば重たい鍬を持ち上げるという動きをどうアニメーションで表現するか。大塚氏は持ち上げるまでの動作を丹念に描く。鍬を握ったら腰を据えて力をためてよいしょと持ち上げる。腕だけではなく、腰や足の動きも描く、さらに少々のデフォルメを追加することでダイナミックな動きとなるのだ。
人物だけでなく、メカの動きにもこだわる。大塚氏が作画監督を務めた「ルパン三世」(1971年)の第1シリーズでは、登場する自動車は一般的なアニメにありがちな、どのメーカーが作ったのかわからない自動車ではなく、ベンツSSKから日産ブルーバードまで実在する自動車を描いている。ガンアクションでは、弾が発射されると銃身が後退して発射のショックを和らげるという細かい描写にこだわった。
とはいえ、メカ作画の得意な大塚氏は、ロボットアニメにはほとんど参加していない。「あんなものをどうやって動かすのか考え込んでしまう」からだという。大塚氏は「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)の故・西崎義展プロデューサーから同アニメに作画監督として参加しないかと誘われたことがある。即座に断ったというが、巨大な戦艦がどうやって宇宙空間を飛ぶのか、理屈がわからなかったからかもしれない。
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