「JR・東武直通特急」協調路線10年目の課題 東武線内でのSL運行など話題豊富だが・・・

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古くから有数の観光地として親しまれる日光。その観光輸送をめぐり、かつて東武と国鉄(現JR)は激しい競争を繰り広げていた。乗客の争奪戦は戦前に東武日光線が開業したときから続いていたが、相次ぐ新型車両の導入など、もっとも活発化したのは昭和30年代だ。

東武日光線が開業したのは1929年。それまで東京~日光間の交通は、国鉄の東北本線で宇都宮へ、そこから日光線で日光へと向かうルートが唯一だったが、東武は宇都宮経由の国鉄に比べて距離が短く、さらに電車による運転を行っていたため、蒸気機関車の国鉄よりも優位に立つことになった。

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かつての東武特急「デラックスロマンスカー」1720系(写真:高橋義雄/PIXTA)

これに対して国鉄は1956年、当時最新のディーゼルカーによって上野~日光間を約2時間で結ぶ準急「日光」の運転を開始。対抗して東武が新型特急車両を投入すると、国鉄は1959年に日光線を電化し、当時特急並みに豪華といわれた新型電車157系を投入した。

しかしその翌年、東武はさらに豪華で、いまも鉄道ファンに名車と称えられる「デラックスロマンスカー」1720系を投入。この車両が日光への看板列車となり、勝負は東武に軍配が上がった。短期間に両者が矢継ぎ早に新型車両を導入し、サービスや速さを競いあったのは、当時の日光がそれだけ有力な観光地であったことも物語っている。

驚きを呼んだ直通実現

こういった経緯があるだけに、東武とJRが手を結び、直通特急を走らせるというニュースは驚きをもって迎えられた。背景にあったのは観光客数の減少だ。両社は栗橋駅の構内に長さ約630mの連絡線を新設し、それまでは考えられなかった特急列車の直通運転を実現。新宿や池袋と日光・鬼怒川温泉を乗り換えなしで結ぶ新たなルートが生まれた。

だが、直通特急の効果が日光の観光客増加にそのまま直結したかというと、やや厳しい面も見えてくる。東日本大震災の影響も大きいものの、観光客数は直通特急の運転開始前より減っているのだ。

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