銀座に踏切、豊洲に鉄橋…都心に眠る廃線跡 大都会で楽しめる「鉄道の遺構めぐり」
電通ビルの横から横断歩道を渡ると、ビルに囲まれた路地に、線路もないのに踏切警報器がひとつだけ立っている。これは、かつて汐留駅から築地市場へ通じていた貨物線の跡。線路敷は道路に変わったが、この警報器だけは、「銀座に残る最後の踏切」として保存されている。
昭和30年代までは、隣の東京高速道路には汐留川が流れ、築地市場に出入りする貨物列車が、ゆっくりと鉄橋を渡っていたという。今ではビルが林立して風景が激変したが、この踏切だけは昭和の面影を留めている。
さて、万世橋や旧新橋停車場などは、現代の人々によって保存・復元された遺構で、歴史的な興味は引くものの発見の喜びや意外性は少ない。そこで、築地市場駅から都営地下鉄大江戸線に乗って、臨海地区へ行ってみよう。門前仲町で東京メトロ東西線に乗り換え、木場駅へ。三ツ目通りを南へ1kmほど歩くと、枝川の手前で突然左手に赤さびた線路が現れる。
マンションの谷間に眠る線路
これは、1989(平成元)年に廃止された、東京都港湾局専用線の跡だ。小岩と越中島を結ぶJR越中島支線の先にあり、晴海や豊洲の臨海部を結んでいた。
昭和40年代までは、輸入穀物や化学原料、石炭、紙など、東京港に集まる様々な物資を輸送する路線として活躍し、東京の物流の一翼を担っていた鉄道である。しかし1970年代以降、トラック輸送への移行が進んだために全線廃止された。
それから27年、豊洲地区は再開発によって風景が激変したが、今もビルの谷間に遺構が点在しており、独特の風景を作り上げている。
線路跡は東京都港湾局の管理地だが、周辺の道路から眺めながら散策できる。三ツ目通りを渡った線路跡は空き地となって団地を横切り運河を渡るが、その手前にみごとな鉄道遺構が残っている。高級マンションに囲まれたわずかなスペースにひっそりと残る鉄路の跡。ここはぜひ実際に現地を訪れて、その不思議な光景を確かめてほしい。
線路跡は東京都が管理する駐車場となり、豊洲運河を渡って豊洲に入る。ここに架かっていた豊洲橋梁は2000(平成12)年に撤去され、運河の中に橋脚が二基残るのみだ。その先は、再開発が進む豊洲の街。線路跡はビル群に完全に呑み込まれ、鉄道が通っていたことさえ信じがたい現代的な街に変わってしまう。
だが、ハイライトはその先にある。豊洲と晴海を結ぶ春海橋の横に、場違いなほどに赤さびた古い鉄道橋が架かっている。東京都港湾局晴海線の晴海橋梁だ。平成の世を経て、あらゆる景色が激変した豊洲・晴海にあって、この鉄道橋だけがなぜ残ったのか。
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