中国・新疆ウイグル自治区騒乱、当局の姿勢はチベット騒乱時と何が変わったか

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チベット騒乱のきっかけとなったのは、昨年3月14日にラサでチベット族僧侶と治安部隊が大規模な衝突を起こしたことだ。事件発生後、当局は海外メディアがチベットに入域するのを阻止。事件に関する情報を新華社、中央テレビ(CCTV)など、官製メディア経由のものに限定しようと試みた。

だが、携帯電話でも映像が撮影できる時代に、この政策は功を奏さないどころか、中国不信を招く逆効果となった。今回は騒乱発生直後の6日には海外メディア向けのプレスセンターを設置するなど、だいぶ風向きが変わった。

当局は5日に発した夜間外出禁止令を6日には解除しており、治安の回復に自信をもっていた可能性もある。しかし、7日には数千人の漢民族がウイグル族への報復を訴えて街頭に出るなど情勢が悪化。再び夜9時から翌朝8時までの「交通管制」が行われた(新華社の英文記事ではcurfew=夜間外出禁止令という表現が使われている)。

8日もウイグル族、漢民族ともにウルムチ街頭での集団行動を続けているほか、地方都市でもウイグル族と治安部隊、漢民族が対峙する状況は続いた。先行きがなお不透明な段階で海外メディアが自治区内にいることは、あるいは中国当局にとっては誤算なのかもしれない。しかし、民族間の衝突が際限なくエスカレートしかねない状況下で、海外メディアの存在そのものが監視役となることで、双方の暴力の抑止力となりうる。このことは、この騒乱の中での不幸中の幸いといえるのではないか。

中国は相次ぐ少数民族地域での騒乱に加え、サミットの「欠席」によってイメージダウンを余儀なくされた。今後に中国が国際社会での信頼感を高めるうえでは、情報公開の姿勢を維持、向上することが最低限の条件になるだろう。

西村 豪太 東洋経済 コラムニスト

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にしむら ごうた / Gota Nishimura

1992年に東洋経済新報社入社。2016年10月から2018年末まで、また2020年10月から2022年3月の二度にわたり『週刊東洋経済』編集長。現在は同社コラムニスト。2004年から2005年まで北京で中国社会科学院日本研究所客員研究員。著書に『米中経済戦争』(東洋経済新報社)。

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