一匹狼ヤオコーの大一番、都心進出に名乗りを上げる驚異の地場スーパー
1997年の中期経営計画で、その方針を宣言。各店で異なる顧客ニーズに密着するため、それまで本部主導だった商品構成を店長に一任、「個店経営」を明確に打ち出した。
2年後、モデル店としてオープンしたのが狭山店(埼玉)だ。他店より地場産が多い生鮮売り場や、大幅拡充した総菜売り場で個性を演出。店一店作れるほどの人員を総菜売り場に配し、従来はロボットが握っていたすしをお手製に変えるなどこだわった。
「まるで広報担当になったようだった」。当時店長だった野村光一・現クッキングサポート担当部長は、連日の見学者対応に追われた。“合理的”な画一化が進んでいた当時のスーパー業界にとって、狭山店はそれほど画期的な店だったのだ。
軸にブレがないかぎり結果が出るのを待つ
この狭山店で生まれたのが、「クッキングサポート」だ。これは、主婦を中心としたパートナー社員が料理の提案をするコーナーで、たとえば5月19日の川越南古谷店なら「アサリと卵のサッととじ」といった具合に毎日1品、試食とともにパートナー手作りのレシピも用意する。それは「単なる試食コーナーではない、井戸端会議の場なんです」と野村部長は強調する。その狙いは何か。
地域に根を張る食品スーパーにとって、欠かせないのは運動会など地元のイベント情報だ。パートナー社員こと主婦店員が常駐するこの“井戸端”は、そんな生の情報を店づくりに吸い上げる格好の場なのだ。「チラシを見て来店された方には、そのお買い得品を使った提案のほうが助かるはず」(野村部長)と、提案メニューは特売商品と連動。パートナーと仕入れ担当とが会議を設け、販売商品と足並みをそろえている。このクッキングサポートは、今やヤオコーの代名詞的存在となった。
一方、個店経営ゆえの苦戦もあった。店長の権限で個店ごとに品ぞろえを変えても、お客がすぐに反応してくれるわけではない。たとえば「狭山店で最初に行ったイタリアンの提案は厳しかった」(野村部長)。売れ残りの廃棄や値下げ処分に追われ、また「お客様から要望を取り入れたものであっても、浸透するまで我慢の連続だった」(同氏)という。
それでも継続できたのは、「今すぐに花は開かないけど、もう少ししたら(成果が)上がってくる」という社長の口癖だった。採算が悪くてもそこですぐやめてはならない。軸がブレていないかぎり結果は待つという社風が、挑戦を後押ししたのだ。