三菱「パジェロ」は本当に終わってしまうのか 次期型開発中止の観測が浮上した背景を探る
1991年に登場した2代目も先進的だった。4WDシステムは2WDと4WD、センターデフのロック/フリーを切り替え可能で、直噴ガソリンエンジン、ABS、エアバッグなどを、ライバル車に先駆けて導入した。
2代目では「エボ」も登場した。パジェロ・エボリューションだ。パリダカ優勝という明確な使命のもと生まれた車種で、サスペンションを4輪独立懸架に換え、トレッドを広げ、ボディは迫力のブリスターフェンダーを装着。3.5リットルV6エンジンは当時の自主規制値上限の280ps(馬力)までパワーアップしており、砂漠を時速200キロメートルで安定して走れる性能を持っていた。
この間、日本ではバブルが弾ける。にもかかわらず、3代目パジェロは商用車仕様を廃止し、ボディサイズは大幅に拡大。持ち前のオフロード走破性を堅持しつつ、フレームとボディを一体化したモノコック構造、四輪独立懸架サスペンションなどを採用し、高級乗用車としても通用する車種として開発が進められ、1999年に発表される。
パジェロに逆風が吹き始めたトヨタの「ハリアー」
しかし、3代目パジェロには逆風が吹いていた。1997年にトヨタが送り出した「ハリアー」が、SUVの新しい流れを築きつつあったのだ。ハリアーは前輪駆動乗用車のプラットフォームとパワートレインを流用することで、腰の低いスマートなスタイリングを実現するとともに、舗装路での走行性能や快適性能で、既存の多くのSUVに差をつけた。
当初は懸念されたオフロードでの走破性も、その後の電子制御の進化によって、パジェロのような本格派にさほど劣らないポテンシャルを持つに至った。それ以前に多くのユーザーが、そこまでの性能は不要と見切って、デザイン優先でSUVを選ぶようになった。
レジャー人口の減少も、パジェロには逆風になった。1993年には1770万人だったスキー人口はスノーボードの登場で1998年には1800万人に達するが、その後は徐々に減少し、2013年には770万人と、20年間で1000万人も減ってしまった。
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