教員はもう限界、日本の教育は「足し算」で壊れてきた…"ズレる現場との感覚"次期学習指導要領に必要なのは「引く改革」と余白の再設計
新たな学習指導要領では、個々の教師の工夫が前提となります。 指導は、これまで以上に高度で難しくなると言ってよいでしょう。だからこそ、働き方改革が先に必要なのです。
そして、そのために不可欠なのが「余白」です。教師の余白が、授業の工夫を生みます。 教師の余白が、子どもの学びを豊かにします。余白なき改革は、現場に新たな負担を積み上げるだけです。
空いた時間を「埋めない」という発想
ここで重要なのは、「空いた時間を何かで埋めない」という発想です。これまでの改革は、空きができれば新しい活動を足してきました。しかしそれでは、過密構造は温存されたままです。
本当に必要なのは、あえて「何もしない余白」を制度として確保することです。早く帰る。ゆっくり過ごす。回復する。考える。遊ぶ。
余白は子どものためであると同時に、教師のためでもあります。
一部の先進校では、すでにこうした実践が始まっています。例えば、私立中高の中には、教員の持ちコマ上限を週17コマ程度に抑え、働き方改革と授業改善を両立させている学校もあります。
現在の公立小学校では週25コマ前後が当たり前です。工夫の余地も、授業研究の余裕もほとんどありません。
新たな学習指導要領では、個々の教師の工夫がより一層求められます。指導はさらに高度化し、専門性も問われるでしょう。そのときに必要なのは、教師の余白です。余白があるからこそ授業は磨かれ、子どもの学びは豊かになります。
文科省や中教審がカリキュラムを減らすことを考えていないとは思いません。しかし、考えていることと、現場が救われていないことは両立しています。そのギャップこそが、いま最も問われるべき論点です。
次期学習指導要領で本当に問うべきなのは、「何を足すか」ではなく「何を引くか」です。教科の見直し、授業時数の再設計、6時間授業という前提の問い直し。そして、余白を制度として保障すること。
教育の質を守るためには、引く勇気が必要です。 今こそ「足し算の改革」から「引く改革」への転換が求められています。
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