「東武で4位」に大発展、朝霞台駅長が語る日常風景 東上線とJR武蔵野線との乗換客が終日行き交う
「ただ、私が本格的に駅で働いていたのは入社した直後の浅草駅、あとは野田線の六実駅で1年間助役をしていたときくらいですから……。設備もまったく変わっていますし、いろいろ戸惑うこともありました。いまも手探りは続いていますね」(佐々木駅長)
佐々木駅長が東武鉄道に入社したのは1987年。最初に配属されたのはターミナル・浅草駅だった。そこで2年半ほど駅務係として働いた。ICカードどころか自動改札もない時代。当時の思い出はというと……。
若き日の浅草駅での“インバウンド対応”
「その頃から浅草は外国人が多かったんですよね。当時は定年間際で英語をしゃべれる人がひとりいて、あとは浅草駅にいた『デラックスロマンスカー』の“スチュワーデス”にお願いして。英語ができる人がいない夜間や早朝はもう身振り手振りですよ」(佐々木駅長)
いまでこそ観光地化が進んでいる浅草だが、昭和の終わり頃はまだまだ昔ながらの下町の空気感が色濃かった。週末に大挙してやってくるのは場外馬券場を訪れる人々。最寄りの北口には小銭を握りしめた競馬ファンが殺到した。
「改札で乗り越し精算をするために小銭を置いていくんですけど、注意していないと額が足りていないことがあって」(佐々木駅長)



















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