各地で「整備新幹線建設が進まない」根本的な理由 誰も気づかない、工事費上昇よりも根深い問題
一面では、これまで自民党がずっと政権を担ってきたことで、一連の手続きの法的な位置づけはさておき、一貫した合意形成の手順があった。しかし、今はそれが通用しなくなりつつある。交通政策というより、行政学や地方自治論といった視点から整理してみる必要があるのではないか。
――いったんは政府・与党が決定したのに、なぜ今になって議論が紛糾するのですか。
小浜・京都ルートの妥当性が、どこまで議論されたか、またそれがどう整理されたか。外から見ている立場では、地元の人たちの受け止めがわからないので軽々しくは言えないが、2017年の時点で一応は決着した問題だった。ただ、ルートを議論する段階ではっきり見えていなかったこともある。10年で終わるかも……と思われていた工事が、2024年に詳細が公表されてみたら、20年、30年かかるとなったら、誰もが驚くのは当然だろう。
「日本列島改造論」の感覚が底層に
――そうですよね。
東北新幹線の東京―盛岡間は1971年に工事計画が認可され、大宮―盛岡間が1982年に開業した。ほんの10年足らずで500kmもの距離を建設した。当時の日本にはそれができた。今はトンネル工事区間が増えた影響もあり、100〜200kmのルートの建設でも20〜30年かかる。また、八戸―新青森間の建設費は1km当たり50億円くらいだったが、金沢―敦賀間の建設費は1km当たり150億円と3倍に増えた。開発プロジェクトとしても大きく変容している。
特に2020年代を迎えてから、整備新幹線という政策に脆さが見えてきたと感じている。もともと新幹線で全国を覆う構想が世に出てきた当時は高度成長期で、日本中の特急列車をすべて新幹線に置き換えるような勢いで、日本列島改造論といっしょに議論されてきた。その感覚が、今も建設促進運動の底層に流れている。



















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