精神疾患による休職率が高い「小学校の先生」、改善の兆し見えず…先生たちを追い詰める"悪しき習慣"がメンタル不調を引き起こしている

もともと学校には、「子どもの領域」「家庭の領域」「教師の領域」という3つの線引きがありました。しかし近年、この境界線が溶け、次のような状態が常態化しています。
・ 子どもが困る前に、教師がすべて先回りして解決してしまう
・ 保護者から頼まれると、断るという選択肢をとれない
・ どんなトラブルも「学校が何とかすべき」とみなされる
こうした“境界の欠如”が積み重なると、教師の心は確実に摩耗します。しかも、多くの先生は真面目で「自分がやらなければ」と考えてしまうため、休むことにも罪悪感を抱きがちです。これは優しさゆえですが、同時に非常に危うい文化です。
“境界なき親切”は、子どもの成長も奪う
私は著書や講演で「不親切」という言葉を使っています。この言葉だけが独り歩きし、「手抜きなのでは?」「先生が楽をしているだけでは?」と誤解されることがあります。
ですが実際には、真逆です。「不親切」とは、「あなたならできる」と信じて余白を残すこと。つまり、子どもの主体性を守るために、敢えて手を出し過ぎない勇気です。
対して、“境界なき親切”はどうなるか。
・ 困る前に助ける
・ 先回りして準備する
・ 「かわいそうだから」と肩代わりする
これは一時的には子どもを楽にします。しかし長期的には「やってもらえること」に適応し、自ら動かない子が増えていきます。
そして同時に、教師自身もどんどん消耗していく。つまり境界線は、大人のためではなく、子どもを強く優しくするために必要なものなのです。


















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