全盲の大学生、当事者目線を生かして「起業」《"望まない進路しかない"のは教育現場に課題》「とりあえず混ぜればいい」インクルーシブ教育に一石
徳島県徳島市の公立小学校(特別支援学級)に通っていた川本さんは、12歳のときに視力を失った。
「目の病気で2歳半から弱視だったのですが、ある日まったく見えなくなりました。理科で実験ができない、社会で地図が見えない、漢字の練習もできない。これまで当たり前のようにやってきた勉強が『やりたくてもできないもの』に変わり、これから自分に何ができるのか、とても悩みました」(川本さん、以下同じ)
卒業後、地元の盲学校中等部に進学したが、同学年の生徒は川本さん1人だった。友人もできず「しばらく気分が落ち込んでいました」というが、教員の支援を受けながら自身と向き合う日々を過ごす。「白杖を持って外に出るのが嫌いだったのですが、先生から『ゆっくりでいいから』と声をかけてもらいながら1年くらいかけて歩行の練習を行うなど、中学時代は自分を見つめ直すことができたと思います」。
その一方で、卒業後の進路指導は、実質的に鍼灸・按摩の専門学科への固定化が中心だった。歴史的背景もあるが、「 “視覚に障害のある生徒の進路の王道”と位置付けされていること自体に疑問を感じました」と語る。
「鍼灸・按摩はプロフェッショナルな仕事ですばらしいと思いますが、私には合わない」と、川本さん。その理由として、「人の体に施術することへの適性がないと感じたこと」に加え、「何百もの経穴を覚えるなど暗記中心の専門科目が苦手だったこと」を挙げた。
もともと、地域課題などを解決する仕組みを考えることに興味があった。しかし当時の進路指導では「視覚に障害があることで将来への視野が狭まるというより、情報そのものが存在しない感覚でした」と、選択肢の少なさに直面した。
そこで、より多様な進路の可能性を求め、国内唯一の国立大の視覚特別支援学校である筑波大学附属視覚特別支援学校(東京都文京区)への進学を決意。猛勉強して合格を勝ち取った。
筑波で得た「学びの設計」という視点
筑波大学附属視覚特別支援学校(幼稚部、小学部、中学部、高等部、高等専攻科を擁し、敷地内に寄宿舎を併設)は、視覚に障害のある児童生徒の発達段階に応じ、一人ひとりが最大限に能力を発揮できるよう質の高い教育を提供し続けている。例えば、中学部理科では動物の骨を実際にさわって生物の特徴をとらえる「さわる授業」を行うなど独自の工夫を凝らしている。
川本さんが同校で過ごした3年間はコロナ禍に重なったが、授業の質は高く保たれていたという。



















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