「初の女性首相」誕生は自民党結党以来の伝統的戦術 結党70年「新型の首相」が生まれる時代の共通点

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高支持率は、もちろん「新型の首相」の手で新時代を切り開いてもらいたいという民意の高まりを示している。同時に、「新時代」の裏側をのぞくと、実は「新型の首相」に政治の舵取りを託さなければ、凋落や漂流が止まらないという政党の危機状況が見え隠れしている場合が多い。

93年の細川首相の登場は、88年に露見したリクルート事件による派閥総崩れの自民党が、竹下登首相の後、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤の3氏の内閣で何とか持たせながら、最後に行き詰まった末の政権交代という危機的な場面であった。小泉首相の登板も、前任の森喜朗内閣の大失速から、どうやって立て直しを図るかという難局である。

5年5カ月の小泉政権の後、第1次安倍、福田康夫、麻生太郎の3首相は、いずれも在任1年の短命内閣で、「自民党政権の末期症状」が顕在化した時代だったが、自民党への絶望と民主党政権への期待感が鳩山由紀夫内閣の高支持率の主因だったのは疑いない。

女性初の首相は「危機の宰相」

女性初の高市首相の出現も、背景の現実を見ると、「初物」「新型」という特徴を武器にして、直面する窮地の乗り切りを図る伝統的な自民党の戦法では、という分析も多い。高市首相は当然ながら、自民党の苦境を承知の上で、あえて火中の栗を拾う覚悟を決め、起死回生の勝負に挑む「危機の宰相」の役割を勝って出たのだろう。

高市氏について、強く記憶に残っているのは、菅義偉首相の辞意表明後に行われた2021年9月29日の自民党総裁選の場面である。高市氏にとっては初の総裁選挑戦であった。

25年7月に刊行した最新の拙著『戦後80年の取材証言:私が聞いた「歴史的瞬間」』の「第68項」で詳述したが、20年9月まで政権を担った安倍氏を、総裁選の翌日の21年9月30日にインタビューした。月刊誌の企画で、祖父の岸信介元首相について回想してもらうのが目的だった。

上記の拙著の「第3項」でも触れたが、岸氏は今から70年前の自民党結成の際、結党直前の日本民主党(後年に鳩山由紀夫氏らが結党した民主党とは別の党)と結党直後の自民党で続けて幹事長を務め、「自民党をつくった男」と呼ばれた三木武吉氏(結党時に自民党総裁代行委員)の右腕として党創設で中心的役割を果たした。その岸元首相について、孫の安倍氏が振り返って語った。

「祖父が今の日本を見たら、よくぞここまで来た、と思うでしょう。(中略)今の自民党を見て、祖父は自民党がまだ続いていることに多少、驚きを抱くかもしれませんね。自民党の本来の役割を目指す方向をしっかりともう一度、見つめ直せ、と思うのではないかな。私もそのために昨日の総裁選では高市早苗氏を擁したのですが」

安倍氏は生前、「自民党結党の功労者」といわれた岸首相の政治の継承者は高市氏、と一度は考えていたようだ。

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