まさかの《自公連立崩壊》を招いた"真犯人"は誰か? 「萩生田氏を抜擢したのが間違い」との指摘は間違いかもしれない

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自民党の新たな執行部の人事が発表された7日、高市総裁と斉藤代表は自公連立政権の継続に向けた政策協議を行った。このとき、斉藤氏は高市氏に①「政治とカネ」の問題、②靖国参拝を含む歴史認識、③過度な外国人排斥という3点について懸念を伝えた。

斉藤氏は②と③について「認識を共有できたところもたくさんあった」と述べたが、完全合意に至らなかったことに含みを残した。さらに①について、公明党側は企業団体献金先を政党本部と都道府県単位の組織に限定することを提案したが、自民党側は「それでは地方支部の活動に支障が出る」として拒否。10日の党首会談では高市氏が「党に持ち帰らせてくれ」と言ったが、公明党側が拒否している。

“裏金議員”への対処についても、双方の意見は対立した。高市氏は総裁選で「党の処分を受け、選挙で禊(みそぎ)も受けている」として、“裏金議員”の登用を容認。党人事では、2728万円の裏金問題で党から処分を受け、昨年の衆議院選挙で公認を得られなかった萩生田光一衆院議員を幹事長代行に抜擢した。これが公明党の離反の“トリガー”となったのかもしれない。

萩生田光一
幹事長代行に抜擢された萩生田光一衆院議員(写真:ブルームバーグ)

萩生田氏には裏金問題のみならず、旧統一教会との関係や、公明党が切望した衆院東京28区をめぐる確執もあるからだ。だが、「萩生田氏だけが問題ではない」と、ある関係者は言う。「自公関係は萩生田氏1人の問題で決裂するほど単純なものではない」――。

26年間の自公連立がたどってきた紆余曲折

「26年間の自公連立」といっても、双方はつねに良好な関係だったわけではない。09年8月から12年12月までの民主党政権時の自公関係は、大して緊密なものではなかった。この期間、公明党は党大会に自民党の谷垣禎一総裁(当時)を招待せず、メッセージだけが読み上げられた。

「連立与党」という言葉はあっても、「連立野党」という言葉がないというのが、公明党側の言い分だった。この時期の自公関係は、少なくとも公明党にとっては“クール”なものといえた。

その原因を作ったのが、麻生太郎元首相だ。麻生氏は福田康夫元首相の突然の辞任を受け、08年9月に首相に就任。当初は翌月に衆議院を解散するはずだったが、早々に勃発したリーマンショックへの対応に追われるうちに「麻生降ろし」が勃発した。追い込まれた末に解散へとなだれ込み、自公は下野せざるをえなかった。

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