老中・松平定信が徹底的に排除した江戸役人の「無駄」と「賄賂」 。登城、文書作成、衣服…煩雑なルール変えた"廉恥"の政治とは
また、衣服においても、何日は何を着るなど煩雑なことをしていました。定信はこれらの事柄を「繁文」(こまごまとして煩わしい)と思い、残らず省略したのです。登城に関しては「四つ時の御太鼓」(午前10時頃の太鼓)の合図で、皆、登城するようにしたのでした。
賄賂もおびただしいものがある
定信曰く、老中への賄賂もおびただしいものがありました。
定信は「金子などを袖にして送るのは昔のことだ」と述べます(『宇下人言』)。近頃は「小箪笥、火鉢、三所物(目貫・笄・小柄)になどと言って、黄金を送る」と記しているのです。
元老中の田沼意次が別邸を造ると聞けば、大名らは争って「木石」などを送ったと定信は言います。また、月見の際には大きな台にのせて料理を送ったようですが、その台に金銀が散りばめられていた例もあったと定信は記します。他にも「何々の役に昇進したならば、その年の役料を送ろう」という者もあったようです。定信はこれらを「嘆かわしい」と慨嘆しています。「廉恥」(心が清らかで、恥を知る心が強いこと)地を払うという表現もしていて、定信の嘆きの心が自叙伝からは伝わってきます。
よい人材が登用されず、政策が実行されないのは、皆、賄賂のせいだと、定信は諸悪の根源は「賄賂」にあると主張。「賄賂政治」を排除するのでした。
賄賂ではないとしても、政治団体の事務所家賃の家族への支払い、選挙運動の報酬をめぐる疑惑、領収書の不備など「政治とカネ(金)」を巡る問題は、現代政治においても相次いで発覚してきました。現代の政治家にも、松平定信のように、清廉な心で政治に臨んでほしいものです。
(主要参考文献一覧)
・藤田覚『松平定信』(中公新書、1993年)
・高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)
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