実のところ独裁者になるということは、降りられないランニングマシンの上で走り続けるようなものなのだ。彼らはその立場上、「穏やかに辞任する」という出口戦略を持ちえず、常に脅威にさらされている。
独裁者は自らを支える側近たちを飼い慣らさなければならない。そして、彼らの非道な行動の背後には、裏切りや暗殺、叛乱への恐怖がある。
今回、政権のパワーゲームという視点で独裁制を読み解く『独裁者の倒し方:暴君たちの実は危うい権力構造』より、一部抜粋・編集のうえ、お届けする。
能力よりも忠誠心を優先せざるを得ない
独裁者は自分の権力を支えている側近のうちの誰が味方で、誰が虎視眈々(こしたんたん)と攻撃し失脚させる機会を窺っているのかを知ることができない。その結果疑心暗鬼の状態が続く。
そこで彼らに残された選択肢は、能力を優先するか、忠誠心を優先するか、だ。身の安全を考えると、へつらう人間ばかりを周りに置くのは理に適っている――たとえ彼らが愚かだったり無能だったりしても。
独裁体制では、忠実さが何よりも大切だ。なにしろ、能力は危険になりうるからだ。顧問や高官は、仕事ができ過ぎると、指図に従ってばかりいるのにうんざりし、自ら権力を手にしようと企(たくら)みはじめかねない。
だからたいていの独裁者は、他に頼る人のいない忠実な支持者たちを選ぶ。独裁者に頼っていれば忠誠心が生まれ、忠誠心は信頼を生む。
だが、政権の存続にかかわるあらゆる決定の例に漏れず、ここにもトレードオフがある。忠実に見えるという理由で無能な役人たちを独裁者が昇格させると、政権の上層部は権力にけっして近づくべきでない人だらけになる。
やがて、これは深刻な問題を生む。なぜなら、高度に中央集権化された体制の指導者でさえ、権力を維持するためには、十分な数の人にとって好ましい結果を生み出さなければならないからだ。



















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