「ダブル選挙による時局の打開は幻影だ」。選挙の神様・久米晃が語る1986年死んだふり解散と今との決定的な差

3月に「商品券問題」が発覚し、3割台の支持率で低迷する石破政権。少数与党ゆえに野党各党に譲歩を余儀なくされる。そんな中、「窮余の一策」として常にささやかれるのが、衆参ダブル選挙だ。石破茂首相自身、時にその可能性をチラつかせながら煙に巻く。ダブル選は結果次第で局面を一挙に打開できるだけに、その可能性は今後も燻り続けるだろう。
実際、衆参ダブル選挙はあり得るのか。
実は戦後にダブル選が行われたのは2度のみだ。そのうち1986年の選挙といえば、中曽根康弘首相のもとで「死んだふり解散」と呼ばれる電撃的な衆議院の解散を皮切りに、自民党が300議席を得る大勝となった。当時、自民党本部の職員としてこの選挙に関わったのが久米晃氏だ。40年以上にわたり自民党で選挙対策を担い、データに基づいた緻密な分析から「選挙の神様」の異名を持つ久米氏に振り返ってもらう。
自民党の支持率は1986年当時とは違う
――かつて、第2次安倍政権でも幾度か衆参ダブル選に踏み切るのではないかとの臆測が広がりました。実際、回顧録では選択肢に入れていたと本人も明かしています。石破首相も昨年末の報道番組でダブル選もあり得ると受け止められる発言をしたことから永田町に緊張が走りました。今は否定的な発言に終始していますが、衆参ダブル選はいまも局面を打開する一手として強い魔力を持っているようです。
それは1986年の選挙での成功体験が大きく影響していると思う。ただ、実際にやるとなれば、自民党の支持率は1986年当時と今では全く違う。ダブル選で投票率が上がったところで、自民党が勝てるなんていう状況は昭和の時代のもの。私から見れば、ダブル選なんてまったくあり得ない話だ。
でも、ダブル選をちらつかせることで、自民党が一挙に盛り返すのではないかという幻想に、マスコミも国民も踊らされる。そうした魔力のようなものがあるようだ。それは野党の動きを封じる、いわば「脅し」としても非常に強力な魔力でもある。議員心理としては、選挙はすぐにはしたくないというのが本音だからだ。
――1986年のダブル選では、中曽根首相は早くから解散の可能性を探っていたそうですが、いったんは断念するかのような構えをみせ、その後、電撃的に解散へと踏み切ったことから「死んだふり解散」と呼ばれました。
当時、私は自民党職員となって6年目で、選挙対策委員会にいた。その年の3月末だったと記憶しているが、上司の副部長が官邸から極秘で「国会を何日延長して、いつ解散すると衆参ダブル選挙になるのか計算してみてくれ」と指示を受け、副部長と私の2人だけで作業にあたった。
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