現代の大人とは違う「子どもに性教育」が必要な訳

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性に関する情報は、友だち同士の〝下ネタ〟的な会話や成人向けのコンテンツなどから知ったという大人は多いのではないだろうか。性に関する悩みがあったとしても、恥ずかしい、タブーといった雰囲気で気軽に相談できる環境にはなかったのではないか。だが、今は性教育の必要性が強く訴えられるようになっている。それはなぜなのか。シオリーヌ(大貫 詩織)著『助産師YouTuber・シオリーヌの学校性教育サポートBOOK 子どもたちと、どうやって向き合えばいいの? 』から一部抜粋、再構成してお届けする。

性教育の基本は「人権教育」

性教育と聞いて、皆さんはまず何をイメージするでしょうか? 妊娠出産の仕組み、生理や射精などの体の仕組みを学ぶというイメージを持たれている方が多いかもしれません。

もちろんそうした知識も大切な性教育のひとつですが、何よりも欠かせない性教育の基本は、人権教育です。私たちには人権という生まれ持った大切な権利があること。自分の体は自分のもので、自分の体に関することは自分に決める権利があること。自分以外の他者も、同じ権利を持っていること。そうした人権に関する意識こそが、性教育の基礎とも言える大切な考え方ではないかと思っています。

一人ひとりに人権という大切な権利があるからこそ、相手に触れたいと思ったときには同意の確認をしなくてはならないし、目の前の人と丁寧にコミュニケーションをとって、相手が何をされたくないのか、何をされたいと思っているのかを知る必要があります。

他者の持つ大切な権利についてあらかじめ知る機会があれば、『やめて』と言われたらやめなければいけない、ということも自然と理解できるのではないでしょうか。その人の体に関することを決める権利は、その人にしかないという前提を、広げていく必要があります。

たとえば男子と女子のカップルで、「彼氏がコンドームをつけてくれない」といった悩みを持っている若者は少なくありません。もしあらかじめ「その人の体のことを決める権利はその人自身にしかない」という大事なメッセージをしっかりと伝えておくことができたのならば、女子生徒に「あなたが嫌だと思うことには、NOを言う権利がある」ということもしっかり伝えることができるでしょう。

相手となる生徒も「妊娠する可能性のある本人が『いまは妊娠したくないから避妊したい』と言っているのだから、交渉する余地はないのだ」ということが、理解しやすいのではないでしょうか。

「いまは妊娠を望んでいない」と考える人がいて、本人が避妊を希望しているにも関わらずそれに協力しないというのは、決して許されない性暴力です。そうした性や生殖に関する人権は、当たり前に尊重されなくてはならないものであるということを、子どもたちに伝えていくことが重要なのです。

子どもたちにとってそうした人権意識が当たり前のものになれば、お互いに「性的な関係になる前には相手の思いを確認しよう」という認識を自然に持ってくれるのではないかと思います。自分の体は自分のものだし、相手の体は相手のもの。言葉にすると当然のことですが、これが性教育の基本中の基本であるような気がします。

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