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なぜ「台湾文学」は日本文学と違い政治的なのか 『台湾文学の中心にあるもの』の赤松美和子氏に聞く

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日本でも翻訳される作品が増えてきた台湾文学。その深層には「政治」がある。

丸善京都に設置された台湾文学コーナー
​日本の書店でも台湾文学のコーナーが相次いで設置されている(写真:赤松美和子提供)

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2024年12月に韓国の作家、韓江(ハン・ガン)氏がノーベル文学賞を受賞するなど、アジア文学の存在感が高まっている。日本でもかつては翻訳文学といえば欧米が主だったが、近年は韓国や中国、アフリカ文学の棚が書店に設けられるなど非西洋作品の翻訳も増えてきた。
その流れの中で台湾の文学作品も広まっている。2024年11月には楊双子著『台湾漫遊鉄道のふたり』が台湾文学で初めて全米図書賞(翻訳部門)受賞。日本でも台湾の文学作品の翻訳数が2010年代以降に急速に増加している。
広まる台湾文学の特徴や魅力について、2025年2月に出版された『台湾文学の中心にあるもの』の著者である日本大学の赤松美和子教授に聞いた。
(本記事は2025年3月15日6:00まで無料の会員登録で全文をお読みいただけます。それ以降は有料会員限定となります)

——台湾文学の特徴は何ですか。

歴史や政治との結び付きが強いことです。『台湾文学の中心にあるもの』の中でも中心に「政治」があるとまず示しました。文学は政治性から距離を置いているべきとの意識が強い日本と異なります。

文学は言葉を使った芸術ですが、台湾文学は歴史的な経緯からさまざまな言語が存在することが特徴です 。

もともと台湾に居住していた先住民族は文字文化がなかったので、彼らの独自の言語による伝承で物語を伝えてきました。約400年前に中国から漢人の移住が本格的に始まり、鄭成功らによる政権やその後の清朝時代に漢文で書く文化が始まりました。

表現に使う言語を翻弄された歴史

1895年に台湾は日本の植民地となり、日本語が「国語」となります。当時は世界的に話し言葉に近い口語体で文章を書いていこうとする言文一致が広がっていました。日本では二葉亭四迷らが、中国では魯迅らがその筆頭です。

ただ、台湾では日本語が「国語」となったため、社会や家庭で一般的に話されていた台湾語や客家語の言文一致による文字化を進める機会が失われました。日本の敗戦後も、台湾を接収した中華民国は北京語を基本とする「標準」中国語が「国語」であるとし、台湾語などの「方言」は民主化が進展するまで公に使用できない状況が続きました。

そのため、書かれている言語と家庭で話されている言語が必ずしも一致しないという問題が台湾社会や文学の特徴としてあります。1990年代の民主化以降には、会話文のところだけは台湾語を入れてみるなど、多様な言語で表現する試みが広がりました。何語で書くのかというのがそもそも政治的な営みです。

表現に使用する言語が政治的理由で変遷してきたことのほか、植民統治や独裁政権時代など言論が自由でない時代が長かったことの影響も台湾文学は受けています。ノンフィクションや論説など直接的な表現では当局に捕まる可能性がある中、文学やフィクションが世の中に自分たちの置かれた境遇をアーカイブのように残す役割を果たしました。

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