日本の安全保障の要「核の傘」はもはや「破れ傘」 核兵器禁止条約会議にオブザーバー参加の決断を

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3月にアメリカで開かれる核兵器禁止条約の第3回締約国会議への日本政府のオブザーバー参加を見送りとの報道もあるが、石破首相は1月28日の衆院予算委員会で「適切に判断する」と答弁し、明言を避けた。

2月10日に開かれた核廃絶をテーマにした超党派の国会議員討論会では、参加した8党の中で自民党だけが政府関係者や議員によるオブザーバー参加に反対しており、状況はなお流動的だ。

なぜ参加に踏み切れないのか。政権幹部は不参加の理由として、アメリカの「核の傘」に抑止力を依存する現状を踏まえた対応が必要であるとしている。

核抑止とは、相手国を確実に破壊できる報復用の核戦力の保有が、対立する2国間関係において、互いが報復を恐れ先制核攻撃が躊躇される状況、すなわち「恐怖の均衡」状態を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という考え方である。

しかし、核抑止論には落とし穴がある。誰もが報復を恐れるわけではないということだ。報復を恐れていない政治指導者の一人が、ロシアのプーチン大統領だろう。

成り立たない「恐怖の均衡」

アメリカはNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を続け、ロシアの体制転換に執拗に挑み続けた。追いつめられたプーチン氏は、アメリカと刺し違える覚悟でウクライナ侵攻に踏み切った。プーチン氏はロシアの安全保障が脅かされれば、核使用にも戸惑いはないと分析される。

プーチン氏を理解する上で重要なのが、プーチン氏の精神的支柱と言われるロシア正教のキリル総主教が2012年に訪日した時の説教だ。キリル総主教は、武士道とロシア正教の修道士との近似性について、こう語っている。

「武士は、その肉体はすでに死んだものであるかのごとく生きる。そうすれば己を解き放ち、強くなり、死の束縛から解放され、恐怖は消える。キリストが己を犠牲にして十字架についたように、私たち正教の修道士が、他者のために献身と犠牲の道に立つべくその心を解放するように」

(TOKYOMX「寺島実郎の世界を知る力」2022年5月15日放送より)

これは、江戸時代に記された書物『葉隠』の有名な一節「武士道というは死ぬことと見つけたり」を意味するメッセージである。生への未練を断って死に身になり切るとき、生死を超えた自由の境地に達し、それによって「刺し違える覚悟」で相手との「間合い」を制することができる。

キリル総主教と表裏一体と言われ、武の道を極めるプーチン氏だからこそ武士道の死生観に通じるロシア正教的価値観の行動を取っていると考えられる。だからプーチン氏とは「恐怖の均衡」が成り立たないのだ。

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