愛嬌ある「団子鼻」が目印、元祖新幹線0系の記憶 試運転から国鉄時代の全盛期、晩年の姿まで
世界最高速の列車としてデビューした「新幹線電車」は当時の航空機を思わせる丸みを帯びたスマートな流線形で、日本の鉄道車両ではこれまでにないスタイルだった。車体色はアイボリーホワイトとブルーのツートンカラーで、色調こそ変わっているものの「白地に青」は東海道・山陽新幹線のカラーリングとして現在まで定着している。
当初、この車両は0系とは呼ばれておらず、「新幹線(旅客)電車」が公式な呼び名だった。0系と呼ばれるようになったのは、1980年に東北・上越新幹線用の新形車両「200系」が登場したころからだ。形式を分類する必要が生じたため、東海道新幹線の電車は新幹線の原点「0・ゼロ」を意味する0系と呼ばれるようになった。
「時速210km」の速度計に胸躍らせて
そのデザインもさることながら、標準軌の新幹線電車は在来線車両と比べて車体が大型となったのも特徴であった。その大きさを生かし、車内にはこれまでの国鉄特急列車にはないさまざまな接客設備を備えた。
2等車(現在の普通車)のシートは、在来線では横4列配置のところ、2+3の5列配置を採用。当時はリクライニングシートではなく、背もたれの向きを変えることで方向を変える転換式クロスシートだった。1等車(現在のグリーン車)は横4列のゆったりした配置で、フットレストを備えたリクライニングシートだった。各座席には毛布のサービスもあった。
当時、在来線の特急列車には食堂車が連結されていたが、新幹線は所要時間が短いこともあり、開業時は12両編成の5号車・9号車の半分に軽食や飲み物などを提供する「ビュフェ」を設置した。スピード自慢の新幹線だけにビュフェの壁には速度計が設置してあり、最高時速210kmの表示を見ようと乗客が殺到した。筆者はカレーライスやサンドイッチを食べながら速度計の210km表示に胸躍らせていた。
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