詳細は割愛するが、陸戦のターニング・ポイントであるガダルカナルの戦いでも、戦略デザインのなさと現状認識不足の問題が露呈した。日本軍は、米軍の反攻を想定も研究もできておらず、陸・海・空統合作戦がなされなかったのはもちろんのこと、戦力の逐次投入が行われた結果、敗戦を重ねていった。
さて、皆さんの学校や教育行政ではどうだろうか。約80年前の古臭い話と、笑って済ませられるだろうか。
学校は何のためにあるのか。個々の教育改革や取り組みの先には何があるのか。目の前の仕事は何のためなのか。たくさん重要なことがある中で、何を優先する必要があるのか。こうしたことが十分に共有されている、と胸を張って言える学校、行政は少ないのではないかと思う。
現に、学校のビジョンや経営計画については、ほとんどの校長が4月の職員会議などで説明しているはずだ。だが、覚えている教職員はおそらく少ない。美辞麗句や多少のキャッチフレーズを並べて、それっぽいことは書いているのだが、何を重視するのか、行動指針になっていないからだ。
「あれもこれも大事」と並べるだけでは仕事になっていない
文部科学省や中央教育審議会(中教審)にも申し上げたい。「学校はあれもこれも頑張れ」といった文書が多すぎないか。
「個別最適な学びと協働的な学びを充実させよ」、「不登校も急増していて、丁寧な支援やケアが不可欠だ」、「働き方改革も頑張れ」、「人は増やせないし、欠員(教員不足)状態な場合もあるが……」というのでは、最前線にある学校ではとても苦しい状態が続いている。
ろくな補給や援軍も送らず、ただただ精神論を振りかざしていた戦時中の大本営の時代と比べて、進化しているだろうか。
以上が、私の思い付きだけで申し上げているわけではないという証拠は、文科省や中教審の文書を検索してもらえれば、すぐに見つかると思う。例えば、次の文書をご覧いただきたい。
出所:文科省「公立の小学校等の校長及び教員としての資質の向上に関する指標の策定に関する指針」(令和4年8月31日改正)
まず、一文が長すぎる。文章のわかりやすさは横に置いておくとしても、ここから見えてくるのは、これほど日本の学校が扱っているもの、直面している事態は多種多様で多岐にわたるということ。そして、こんな大変な状況にある学校現場に対して、文科省や教育委員会からの支援も戦略も十分なものとは言えないということだ。
たしかに、いつの時代も、学校や教育をめぐってはさまざまな問題指摘がある。Aという問題も、Bも、Cも、Dも……たくさんの問題があるよね、とリストアップすることは比較的容易だろう。
しかし、これでは、すべて並列で列挙されていて、重要度の高いものから低いものも混ざりがちだし、相互の関係性も捨象されている。列挙されているものの時間的な順序関係あるいは要因間の因果関係がわからなくなっている。以前の記事で「要因列挙法」ではダメな理由は言及した。
リーダーがやるべきことは、「私たちの周りにはAもBもCも……大事なことは多いが、Eという背景・要因が多くのものに共通している根本がありそうだから、まずはEを何とかしよう」などと、方針と戦略を立てることではないだろうか。