東京都競馬、ハイテク化でじわり復活 客離れによる25年の苦境から脱せるか
「東京シティ競馬(TCK)」の愛称で知られる大井競馬場。この大家として施設の賃貸を行っているのが東京都競馬だ。その社名が示す通り、公営競技の施設提供のため、1949年に設立された。レースの運営などは特別区競馬組合が担うが、馬券(勝馬投票券)の売上高の4.5%が賃貸収入となるため、競馬人気の動向はきわめて重要だ。
大井競馬場はここ25年ほど、長きにわたる苦戦を強いられてきた。若者などを中心に競馬離れが進み、馬券の売上高や大井競馬場への入場者数が激減していたためだ。
ところが、ここにきて好転の兆しも見え始めている。2014年度は、競馬事業が想定以上に好調で、売上高は前年比9.9%増(178億円)、営業利益も同59.4%増(43億円)と、予想を上回る業績を叩き出した。2015年度も、上期までの競馬事業が好調で、通期の利益計画を上方修正した。大井競馬場に、いったい何が起こったのか。
ピーク時は「日本一ビールを売る場所」
収益のピークは、バブル期終盤の1991年だった。週末にレースを開催する中央競馬協議会のレースと違い、地方競馬は原則平日の開催となる。1986年に、大井競馬場は日本初となるナイター競馬「トゥインクルレース」を導入。食堂や売店などの設備も刷新した。仕事帰りのサラリーマンやOLの“夜遊び需要”をつかみ、客層を広げる狙いだった。
このナイター競馬が大ヒット。ギャンブル色が強かった競馬場のイメージを大きく変えた。それまで収益が伸び悩んでいた大井競馬場だが、馬券の売上高・入場者数ともV字回復を果たし、1991年には昼間・夜間を合わせた馬券の売上高が約2000億円、入場者数は約320万人に達した。一時は東京ドームなどを抑え、“日本一ビールを売る場所”となった。
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