性にまつわる問題が“文明の衝突”を招く--イアン・ブル 米バード大学教授/ジャーナリスト

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最近、フランスの著名な評論家が、ストロスカーンの逮捕は米国のピューリタン(清教徒)主義の特色をよく示すものだ、と述べた。この評論家は、ラテン文化を背景に持つフランス人は、性的な行動について米国人よりもリベラルにとらえている、と主張した。人間の弱さ、もろさに対して米国人よりも寛容であり、異性に対する迫り方についても洗練された正しい評価を示す、というわけだ。

それだけではない。ストロスカーンの逮捕は、フランスがかつて、性犯罪を告発されたもう一人の男、ロマン・ポランスキーを擁護したこと、およびブルカ着用を禁止したことに対する仕返しなのではないか、と指摘する人さえいる。

法律こそが女性解放のツール

だが、文化の衝突ととらえる見解には問題がある。そのような見解は、弱者に対する強者の行動を擁護することが多い。タリバンの男たちはおそらく、女性を服従させるのは文化が認める特権であり、宗教上の義務だと信じている。

日本のようにリベラルの伝統が根付いていない国では言うまでもないが、リベラルな傾向の強い西側諸国においてさえ、文化は往々にして、弱者を保護するよりも強者を救済する機能を果たす。ポランスキーもストロスカーンも共に、決して対等だとはいえない女性を相手に性的行動に出た。

前者の場合は年齢的に、後者の場合は社会的地位において、対等ではない相手だ。このような男性の人間としての弱さ、もろさに理解を示すことは、弱者である女性に対する行為を大目に見ることにつながる。

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