駅長たまが愛されるのは当然の理由があった 素朴な三毛猫をスターに変えた和歌山電鐵

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2009年頃の「たま」。地位にふさわしい、堂々とした風格をただよわせていた(撮影:上野勝徳)

2006年4月1日に和歌山電鐵(案内上の表記は「わかやま電鉄」)が南海電鉄貴志川線の経営を受け継いだ、その同じ月の末。私も取材に訪れ、終点の貴志駅(貴志川町・現、紀の川市)で帰りの電車を待っていた。

すると、待合室のベンチに座る私のところへ、一匹の三毛猫がすり寄ってきて、何かして欲しげな目線でじーっと見つめ、にゃあと鳴いた。

エサとしてあげられそうなものを何も持っていなかったので、頭を撫でてあげたが、それで満足したのか、すぐどこかへ行ってしまった。ローカル駅を溜まり場、遊び場としているネコやイヌは、そう珍しいものでもない。

素朴なネコだった、たま

このネコが9年後、和歌山電鐵の「ウルトラ駅長・社長代理」となり、最後は社葬をもって、全国から集まった多くの人に見送られることになろうとは、夢にも思わなかった。日本一有名なネコと言っていいだろう。「たま」である。  

たまは16歳という天寿(人間の年齢で言えば80歳以上)をまっとうし、2015年6月22日に亡くなった(死んだ、とは心情的に書きにくい)。葬儀は28日に行われ、和歌山電鐵社長・小嶋光信氏が弔辞を読み上げ、和歌山県知事、和歌山市長、紀の川市長も弔辞を寄せた。 

たまは、当たり前の話であるが「たかがネコ」である。もともとは貴志駅の売店の飼い猫だった。人なつっこく、物怖じしない性格であったが、全国に同じような三毛猫は数え切れないぐらいいるだろう。別表のように「駅長」から始まり、次々に「昇格」したのも、当然だけれど周囲の人々の思惑。駅長であれ社長代理であれ、鉄道会社の経営については、当のたまは与り知らぬことだ。ネコなのだから。

しかし、「されどネコ」なのである。駅長ネコ・たまに会おうと、日本中はもとより、海外からも観光客が貴志駅に押し寄せてきたのだ。

右表には、貴志川線の定期券外客(観光客など、普通乗車券などを購入して乗車した客)と、貴志駅の乗降客数を、統計が公表されている範囲で添えている。

やはり駅長、さらにはスーパー駅長となった2007~2008年あたりで大きくその数字が延びている。「たま効果」がいちばん現れた時期であろう。

貴志川線はもともと、JR和歌山駅と貴志を結ぶ、和歌山市の郊外路線で、主な利用者は通勤通学客。全国的に著名な観光地が沿線にあるわけでもない。観光客とは無縁の鉄道であった。それを、たまが変えた。

和歌山電鐵とたまは抜群の知名度を誇るまでになり、たまが亡くなった時は、すべての国内の大手マスコミと、多くの海外の通信社が訃報を流した。たまの足跡、功績は、すでにさまざまなメディアが伝えているところである。

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