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政争に敗れた「黒い大佐」から筋を通す生き方学ぶ 佐藤優の情報術、91年8月ソ連クーデター事件簿51

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外交官時代、ソ連(ロシア)のさまざまな政治家、官僚、学者、ジャーナリストなどと意見交換をした。公電で外務本省に報告したのは、そのうちのごく一部だ。さらに公電には、意見交換のときに得た情報の一部しか書かない。情報を担当する外交官にとって、意見交換は真剣勝負の場なのである。

とくに1991年8月24日にヴィクトル・アルクスニス・ソ連人民代議員(いわゆる「黒い大佐」)と中華レストランで行った意見交換は、記憶によく残っている。アルクスニス氏の生き方が、筆者が2002年に当時吹き荒れていた鈴木宗男疑惑の嵐に巻き込まれ、東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された際、自らの対応を決断するときの指針になった。

筋を通す生き方を学んだ

クーデターが失敗した後もアルクスニス氏は、国家非常事態委員会の決断は基本的に正しく、ソ連を維持すべきだと主張した。当時は完全に孤立していたが、のちにはロシア国家院(下院)議員として国政に復帰した。筆者もアルクスニス氏のように筋を通す生き方をしたいと思った。この昼食懇談の約束を取り付ける過程から、詳しく再現してみたいと思う。

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