モスクワの日本大使館に戻ったのは、1991年8月19日午後3時15分ごろだった。コールバックしてほしいというメモが数枚あった。ほとんどが新聞記者からだったが、ラトビア外務省政務局長からのメモが残っていたのですぐに電話し、その内容を公電にまとめた。
ソ連非常事態宣言(ラトビアの反応)
第5264号 秘 大至急
18日(正しくは19日)15:25、サトウがプガ・ラトビア外務省政務局長に電話にてソ連非常事態宣言に対する「ラ」政府の対応につき紹介したところ次の通り。
1.18日(正しくは19日)付け「ラ」議会、政府のソ連非常事態宣言に関する声明(こつ子)
18日、ソ連でクーデターが発生し、ゴルバチョフ大統領が解任された。右は憲法に反する国家非常(事態)委員会によつて行われた。右国家非常(事態)委員会は、「ラ」に対して非常事態を導入する権限を有さない。「ラ」の情勢は完全に「ラ」国民の意思によつて選出された政府の統制下にあり、非常事態を導入するいかなる根拠も存在しない。
2.リガ市内の情勢
リガ市内は平おんであり、デモ、集会等は行われていない。(当方より、ソ連軍、連邦内務省特殊部隊の動きにつき質したところ、)特段の行動を展開しているとの情報には接していない。
ラトビア政府は国家非常事態委員会をクーデター勢力と認定し、委員会には従わないことにした。他方、抗議集会やデモは行わず、国家非常事態委員会を刺激するような動きも取らないようにしている。奇妙なのは軍の動きだ。非常事態は軍、内務省、KGB(国家保安委員会)などの暴力装置によって担保されるはずなのにその動きがない。クーデターにしてはふやけている。
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